歯を食いしばってじゃなく、笑顔で生き続けることが大事ー宮田和弥

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歯を食いしばってじゃなく、笑顔で生き続けることが大事ー宮田和弥
2018/04/10 (火) - 07:00
SELF TURN ONLINE 編集部

1989年『歩いていこう』が大ヒット、23歳にして武道館に立ったJUN SKY WALKER(S)宮田和弥。
しかし、97年にバンドは解散、手のひらを返す周りの大人達に戸惑いながらも歌い続け、自分の居場所を探し続けた。
そして現在は再結成したJUN SKY WALKER(S)として大きな会場でライブを行う傍ら、ソロでは、どんな地方の小さな会場でも、たった1人で歌いに行くという。
その姿は、80年代の頂点にいた時期よりも素敵に見える。
永遠のパンク・キッズ、宮田和弥が語る仕事論とは?

宮田和弥の「自分らしく はたらく」ルーツとは?

――永遠のパンク・キッズな感じの宮田さんですが、子どもの頃はどんな感じだったんですか?

「悪ガキな感じでしたね。ウチは両親ともに教育者だったんですけど、僕が一緒にいた仲間は、みんなやんちゃな奴等ばかりで。で、ウチの親も『和弥はちょっとまずいな』と思うくらい僕もやんちゃしてしまって、それで、小学校から中学に上がるときに全寮制の学校にぶち込まれたんです(笑)。その学校に入ってすぐ、中学1年のときに高3の先輩がバンドで先生のことを歌詞にしたオリジナルソングを演奏してるのを見たんです。自分のいいたい事をマイクに乗せてデカい声で歌えるってすごいなと思い『俺もこれやりたい!』っていうのがバンドをやろうとしたキッカケでもあるし、音楽の始まりでもありますね。それで、中1のときにその学校の奴等と組んだバンドがジュンスカの母体です。ちなみに、そのバンドで中2ぐらいからはもうオリジナルソングをつくってやってました。その頃の曲に『お池の中からレッゴー』という歌があって、レコ倫を批判してる内容なんですよ。その頃からそんな歌をやってたんだなぁって我ながら感心します(笑)」

――(笑)。オリジナルをやっていたということは、もうプロになる意志があったんですか?

「ありましたね。中3のときにバンド名が“JUN SKY WALKER(S)”に決まってたんですけど、そのときにメンバーに対して『このメンバーで将来やって行こうと思う。だからもし一緒にやれない奴はもう辞めてくれ』みたいなことをいったんです。当時はキーボードがいたんですけど、キーボードの奴は『僕はやっぱり大学に行って就職しようと思う』といったんです。で、そいつをクビにしましたからね。だから僕等は中3のときにジュンスカで食っていくって決めていたんです」

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中3でプロになることを意識!? そしてプロの道へ

――そこからデビューまでは順調だったんですか?

「当然のように色々ありましたよ。中3でプロになることを意識して、メジャー・デビューは22歳ですからね」

――メジャーデビューしてすぐに売れてますよね

「そうですね。22歳のときのデビューアルバムが『全部このままで』。その半年後にセカンドアルバム『ひとつ抱きしめて』。翌年のサードアルバム『歩いて行こう』はオリコン3位までいき、その年、23歳のときにはもう武道館ライヴをやりましたからね」

――一気にスターになってどうでしたか?

「いい気な天狗っていうか、自分の為に地球が回っている!ぐらいな感じでしたね。それには理由もあって。高校を卒業していろんなレコード会社にデモテープを持って行ったんですけど全部門前払いだったんです。それで、自分等でやるしかなくて、自分達でテープダビングしてホコ天に出て1本500円で売っていたわけです。だから、大人の手を借りずに自分等でのし上がったっていうのがあり、売れたときは『俺の力だ!』って思ったわけです。その頃のビデオを見ると、自分の生意気な態度が恥ずかしいというか説教したくなる感じです。だけど、そういう生意気さがあったから、そこまでバーンとぶち抜けたのかなとも思ったりするんです」

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「バイトをしながら音楽をしていた生活から、一気に武道館までいきました。それこそ武道館の少し前に渋谷公会堂でライヴをやったときなんか、ライヴの打ち上げの最中に銭湯が閉まるから先に帰ったことがあるぐらい、天狗になっていたんです(笑)」

――そうだったんですか!

「渋公でライヴをやってはいましたけど、住んでいたのは家賃2万のアパート。そこから急にドカーンと売れたので、『洗濯機の中にボーンと投げ込まれたスーパーボールのようだ!』って当時よくいってました」

大舞台だろうと小さいカフェだろうと、自分らしくいられる場所が天職

――そんなジュンスカも97年に解散したわけですが、周囲はどんな感じでした?

「手のひら返しですよ。あれだけ僕らにすり寄ってきてた人達がどんどん離れていくわけです。だけどヒット曲をつくり続けてちゃんと立ってないと、人が離れていくのは分かっていたことだったので、それほどショックではなかったですけどね」

――とはいえやはり寂しいはずだし、苦悩もあったと思いますが?

「もちろんそうです。ただ、JUN SKY WALKER(S)でいる団体行動に飽き飽きしていたときだったので、ひとりになって身軽になれたのは良かったです。とはいえ、実際ソロになってみたけれど、そんな売れるわけでもないわけです。ソロをやって『俺ってJUN SKY WALKER(S)っていうこのバンドだからこそ成功したし、自分というものが存在出来たんだな』ってことにちょっと時間が経ってから気づきだしましたね」

――そういうもんなんですね

「そんなことを思っていたら他のバンドマンから声がかかり『ジェット機』というバンドを組んで、そのバンドで転がっているうちにジュンスカの再結成が来て、07年にジュンスカが再結成したわけです」

――ジュンスカが復活した後も宮田さんはソロ活動も並行してやっていますが、ソロ活動ではマネージャーもつけずに、自分でブッキングもやり、自分でギターを背負いライヴ会場まで行き、グッズの梱包や送付も自分でやっていると聞きました

「それをやり始めたのは40歳を過ぎてからです。20代30代の頃は、ひとりでギターを背負ってライヴをやりに行く勇気はなく、マネージャーや誰かが付いてきてくれていました。でも、40歳を過ぎたぐらいから開き直りじゃないけれど、自分でやろうってなって、ここ10年ぐらいはソロ活動のときは完全にひとりでやってます」

――どうですかひとりって? 言葉を選ばずいえば、武道館を何日も満員にしていた時代から比べたら“落ちた”ともいえるし、ひとりじゃなければ味わえないリアルさもあると思いますし…

「いろいろ思うときはあるけれど、ただ、歌ってるときは無心になれるんです。一番良くないのは、歌ってなかった時期ですね。解散してソロをやって、売れない時期に何にもしてなかったときがあるんです。事務所も、腐っても鯛じゃないけど、宮田和弥が弾き語りをしちゃいけないんだ、みたいな感じで。それで歌は歌わずにラジオの司会だけやったり。その時代が一番ダメでしたね」

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――やはり歌っていてこそですか?

「精神年齢が20代で止まっているのか、やっぱり未だに歌っているとワクワクするし、ステージの前はすごい緊張するんです。そして、ライヴの後の乾杯が一番美味しいお酒だし。だから、歌うことが神様に貰った天職なのかなって思いますね」

――ええ

「やはり、ライヴに叶うものはないですよ。それが大舞台だろうと小さいカフェだろうと、人前で歌う、ステージに立つ事が一番の幸せだなって本当思いますね」

――話はガラリと変わりますが、ライヴで地方も行かれると思いますが、地方は好きですか?

「大好きです。土地によって特色が違うのもすごく豊かですし、あとお酒も食べ物も土地土地で全然違っていて、しかもおいしいですからね。地方に行ってその土地の人とその土地の美味しいお酒を飲む時間があると、この職業っていいなってつくづく思います。だって旅をしながらいろんな地方の美味しいものが、好きな歌を歌いながら味わえるんで。しかも自分でブッキングをしているので、自分で行きたいときに行きたい場所に行けるわけですから(笑)」

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大事なのは、「問題は隣じゃなくて、僕自身」

――羨ましいです。ジュンスカが今年30周年という事は、ジュンスカを聴いてきた第一世代はいま、40代、50代で、この世代は会社では上の長老から、下は若手から突上げをくらって大変だったり、妙に人生を諦めてしまっている人も多いと聞きます。永遠のパンク・キッズの宮田さんから何かメッセージはありますか?

「とにかく、生きているって事が素晴らしいというか大事だと思うんです。こう見えても僕だっていろいろな悩みもあります。隣の芝生は青く見えるじゃないけど、同世代のミュージシャンでアイツはテレビ出てるとか、ライヴをデカい会場でやれてるんだとか、隣を見たらキリがないんです。問題は隣じゃなくて、僕自身、いまやってることを笑顔で頑張れているかどうかだと思います。たとえば、スポーツ選手でも、ある程度の選手だった人が、その後監督やコーチになることもあるし、スポーツ界から足を洗って飲食店で頑張って成功してる人もいます。選手生命が終わったときは大変だったと思うけど、そこで頑張ったから次があったわけですよ。僕は肩書きとかではなく、いまを生きて笑顔で頑張っている奴が凄く好きなんです。そういう奴ってすごくエネルギーに溢れていて、悲壮感がないんです。逆に、酒飲んでタバコ吸って“世の中最悪だ”的な愚痴ばっかりいってる奴といるのが一番苦痛ですね」

――わかります

「お金がある・ないは関係なくて、とにかく楽しいよねって、無理やりにでも楽しもうとしている人が好きです。そういう奴等の周りにはそういう奴が集まっているし。結局、大事なのはそこだけのような気がするんです。それさえ出来れば、人生なんとかなると思う。もちろん、人生には大変な時期もありますよ。子育てだったり、家のローンだったり。でも時間が経てばそれはいずれ解決するんです」

――確かにそうですね

「そして、大事なのは、“歯を食いしばってじゃなく笑顔で”です。実はこの笑顔で、というのが一番難しいことなんですけど、笑顔で自分を盛り上げながら楽しく生きることが大事です。そうやって生きていれば、小さくてもひとつ夢が叶ったりするもんです。昔はそんなこと思ってなかったですけど、大切なのはコツコツ笑顔で生きていくってことだと思います」

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生き続けることが仕事

――最後の質問ですが、宮田和弥にとって仕事とは?

「仕事って嫌なイメージがあるけど、仕事を好きになる事が大事だと思いますね。与えられた仕事でもなるべく良いところを見つけるのが大事だとは思います。なので、良いところが見つけられる工夫をするとかが大事なのかもしれません」

――でも、好きなところを探すのではなく、最初から好きな事を追うのもありかと?

「難しいけどそれもありです。でも、どんなことをやっていても、良いことばかりじゃないんです。だから、仕事というのは、それをコツコツと笑顔で遂行することなんだと思います。そうするといままで見たことのない景色に出会えたりします。それが充実感や、お金で返ってくることもあるかもしれないです。あるいは、誰かの言葉で返ってくるかもしれないですしね」

――宮田さん自身はいま仕事に対して何を求めていますか?

「僕の場合は仕事という感覚がないんです。生きていることが仕事なんです。たとえば、ステージに立つためにスポーツクラブに行ったり、炭水化物を控えたり、煙草を辞めたり、明日のライヴに体調を整えるために酒を飲まなかったり、逆に発想を弾けさせるために大酒飲んだり…その全てが仕事なわけなので、宮田和弥というのが仕事なんです。しかも僕は50歳を過ぎているので、生き続けることが仕事なんです」

――宮田和弥であることは辞められないわけですもんね

「そうなんです。それは幸せなことですし、大変なことでもあります」

――そうした人生を選んだことに後悔はありますか?

「後悔はないです。そして僕の歌、僕の音楽を聴いてくれる人がいる限り歌い続けるつもりです」

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インタビュアー:ジョー横溝
PHOTO:oyaming

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宮田和弥

デビュー30周年記念移籍第一弾アルバム発売!
JUN SKY WALKER(S)
「BADAS(S)」
MUCD-1404 ¥3000+税
dreamusic inc.
2018/1/24 release!!

JUN SKY WALKER(S) 30周年スペシャルサイト

【Live Info.】
JUN SKY WALKER(S)『ALL TIME BEST ~全部このままで~1988-2018』
中野サンプラザでのデビュー30周年ワンマンライブが決定!
日時:2018.05.19 (土)16:45開場 / 17:30開演
会場:中野サンプラザ(東京)
詳細:http://junskywalkers.jp/live/liveschedule/792.html


【Profile】
1988年デビュー、JUN SKY WALKER(S)のボーカリスト。
1997年に解散後、ソロ活動を経て、Jet-KiのVocal宮田JETとして2009年7月まで活動。
2008年にデビュー20周年を迎えるJUN SKY WALKER(S)を復活。
2011年5月にはJUN SKY WALKER(S)として復興支援ツアーを行い、2011年10月25日、26日のGolden Circle武道館公演にてJ(S)Wの完全復活を発表。
2013年J(S)W 25th〜Anniversary〜全国TOURを開催。
25周年ファイナルを2014年1月11日 日本武道館にて飾る。
2014年これまでに3枚のソロアルバムを発表した宮田和弥4年振りのNew Album「Naughty」発売。宮田和弥ソロバンドスタイルでNaughtyTOURを開催。
同時に、インディペンデントな活動のひとつとしてのアコースティック1人弾き語り”SLOWCAMP ”
ドリップコーヒーを淹れるような味わいある、ゆっくりとあたたかい音の呼吸を身近に感じられる場所をセレクト。
バンド人生だからこそ、紡ぎだされるギター一本と声だけの時間は、秀逸である。
音源発表として、各会場及び自身のwebstoreのみで入手可能な音源CD[CHAPTER]を自主レーベルTOYDOM Recordsより制作。
2017年本作がシリーズ4作品目となる「CHAPTER4」発表。

SELF TURN ONLINE 編集部

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