海外経験を経てあえて地元で働く。着地型観光を皮切りに東北を発信する 西谷雷佐氏
工藤 健
2017/09/23 (土) - 08:00

西谷雷佐(にしやらいすけ)さんは、地元青森県弘前市で旅行代理店「たびすけ」を経営する傍ら、観光ボランディア団体「路地裏探偵団」や青森県サイクル・ツーリズム推進協議会に所属。国立大学で講義も行うほか、昨年は「東北インアウトバウンド連合」を発足させ、その活動を挙げれば枚挙にいとまがありません。

弘前を出てアメリカ48州を制覇

雷雨の夜に生まれたため「雷佐」と名付けられた西谷さん。高校卒業後は秋田県秋田市にあったミネソタ州立大秋田校(現・国際教養大学)に入学。高校時代にアメリカでホームステイした経験が背景にありました。

「アメリカのスケールの大きさにとにかく感動を覚え、またアメリカへ行きたいという気持ちがあった。正直なところ、当時は夢や何かをしたいといった目標があったわけではありません」

大学では心理学とスピーチコミュニケーションを専攻しますが、関心が高かった教科を選んだだけと西谷さん。それでも与えられた課題や講義に出席するだけで単位が得られるような日本の大学とは異なり、自ら考え、積極的に自分の意見を発言しないと成績にも影響するといった環境で大学時代を送ります。

また、アメリカに来たのだからとことん満喫しないともったいないと考えた西谷さんは、長期休みを利用してアメリカ全土を回ることにしました。
「インターネットがまだ普及していない時代。情報がすぐに手に入るわけではないが、各州には国立公園があると聞いていたので全部回ってみようと決めました」

バックパッカーで安く泊まることができるモーテルなどを利用し、移動はほとんどバス。ハワイとアラスカ以外の州はアメリカに滞在した3年間で回りました。

「アメリカでの経験が今の自分のベースになっています。自分から主張しないと意見や希望が通らない。日本的な奥ゆかしさや場の空気を読むといったことは通用しませんでしたね」と笑います。

帰国後、東京ではなく弘前に戻る

大学を卒業し、西谷さんはアメリカで働くことや東京で就職するといった選択ではなく、弘前へ戻ることにしました。その理由を「住んでいた時には気づかなかった地元の良さを、離れてみて分かることがたくさんあった」と振り返ります。

仕事は東京やアメリカの方がありました。しかし「アメリカでのバックパッカー経験がどこででもやっていける自信になった」と西谷さん。そして、その経験から旅行に関する仕事に就きたいと考え、地元の旅行代理店にアポなしで飛び込み、就職。「今にしては無茶なことをたくさんした」と話します。

当時の仕事はツアー客の添乗員としてガイドをするほか、旅行商品の売り込みや団体客への営業などでした。

「商談の中で、自分の行きたいプランを最後に一つ隠しておき、悩んでいるお客さんに対して『このプランはいかがでしょうか?』と誘導させる。自分の行きたい場所に同行することがモチベーションになっていました」と笑う西谷さん。

全国47都道府県、海外15カ国以上は添乗したと言います。

転機が訪れたのはビジネスプランコンテスト

西谷さんは2006年に弘前商工会議所青年部に入ります。弘前で活動をする若者や弘前を良くしたいと活動する人たちと業種や団体に関係なく関わるようになりました。ここでの経験がアメリカ以上の刺激となったとか。その一つが毎年開催されるビジネスプランコンテストでした。

「新しいビジネスプランを大勢の前で発表するといった全国コンテストで、2009年にグランプリを受賞したプレゼンに感動を覚えました。来年は必ず同じ場所でグランプリを獲ってやると目標にしました」と西谷さん。

そこで考えたテーマは「命に寄り添う街 弘前」。体の不自由な人や車椅子で生活する人が安心して弘前市を旅行できる体制づくりを提案しました。そして見事、翌年にグランプリを受賞。さらに、その翌年にはそのビジネスプランを基に「たびすけ」を立ち上げました。

「もしかするとこの時、初めて与えられたものではなく自分から何かをやったのかもしれない。自分と向き合い、試行錯誤の連続。仕事も辞め、不退転の覚悟で挑みました」

地元の魅力を地元から発信

西谷さんは「たびすけ」を立ち上げるにあたり、「着地型観光」という新しい旅行スタイルに着目しました。着地型観光は、旅行者を連れ出す側が考えた旅行プランではなく、受け入れる側の人たちがその地域のおすすめや地元民だからこそ知る情報を基に旅行商品や体験プログラムを企画・運営するといった観光のこと。旅行代理店の添乗員を経験したからこその西谷さんの気づきでした。

「自分がそうだったように、旅行先のことをあまり知らずその土地に住んだこともない人が旅行を案内していることに疑問があった。弘前も同じで、春は弘前公園の桜、夏は弘前ねぷたまつりといった大きな祭りやイベントがありますが、ガイドは地元弘前のことを知らない人がやっていたことが多かった」

観光ボランティア団体「路地裏探偵団」に入り、メジャーな観光スポットではない地元住民ならではの視点で路地裏や生活圏などを巡るなど、まちあるき観光を案内しています。

また、北国・青森の雪かきをポジティブに捉え、楽しみながら観光客にも体験してもらおうと始めた「津軽ひろさき雪かき検定」を実施。青森県は日本一の短命県であり、それを逆手にとった旅行プラン「短命県体験ツアー ~青森県がお前を KILL~」なども企画しました。

西谷さんは「観光や旅行の考え方自体が変動期に入っている。青森の場合では、リンゴ農家が観光客を受け入れるような人材になってもいいし、旅行会社がリンゴ農園を持つようなことをしてもいいのでは」と持論を述べます。

弘前ではなく東北地域として

現在、西谷さんはパソコンとインターネットに繋げられる環境があれば、場所を選ばずに仕事ができるため、弘前にいないことが多いと言います。そして今、自分に与えられたことは可能な限り県外に出て、弘前の魅力を伝えることではないかとも明かします。

そう思うようになったのは、一つのきっかけがありました。移動中の電車の中で一緒になった外国人に青森のことを聞いてみると、その県名すら知らなかったのです。「北海道は知っていて、その南にある東北も知っていた。でも青森ってなんだ?」と。

「たびすけ」を立ち上げて5年。個々の地域が着地型観光といった呼び込みをしているだけでは発信力に限界があり、観光客にとってもプラスにはなりにくい。そんなことに気付き始めた時でもあります。「最低でも東北という単位で観光客を周遊させるようなブランド化が今の目標」と語ります。

東北6県から民間企業や団体15社の仲間が集まり、国内外から観光客を受け入れられるようなプラットフォームを作る。呼び込むだけでなく、東北エリアの人たちをもうまくつないでいくことができればと西谷さん。

そしてそれを可能にするのは、やはり活動の拠点を弘前に置くからこそ。

「弘前に戻ってくると、“帰ってきた”という意識があって、これはもう理由はなく、遺伝子に組み込まれているような気がします(笑)。場所があまり関係ない時代だからこそ、自分にとって居心地がよく、仕事がしやすい環境で働くことが大事なのではないでしょうか」

西谷 雷佐(にしや らいすけ)さん

1972年、青森県弘前市生まれ。高校卒業後、アメリカ・ミネソタ州立大学に入学。2009年にYEGビジネスプランコンテストでグランプリを受賞。翌年にはたびすけを創業する。

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