ハンギングバスケットへの寄せ植えで市場を開拓。
flower46代表・本間史朗さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2018/02/19 (月) - 08:00

ハンギングバスケットによる花の寄せ植え専門店「花うるる」を大手通信販売サイト上で運営する、山口県山口市のflower46株式会社。代表取締役・本間史朗さんが事業を育む中で成長への手応えを掴んだのは、業務日報による苦手克服でした。代々続いた家業から発展的な起業を果たすまで、美しく“飛躍の花”を咲かせ、「ときめき」という信念をもたらしたその軌跡をたどります。

大学を中退し家業へ。急病の父親を支えるために帰郷

本間史朗さんの実家は山口市内で明治時代より続く、農業用肥料を取り扱う「本間週治商店」を営んでいました。有機肥料を中心とする上質な品を取り扱っていたものの、顧客は主に個人農家が中心。高齢・過疎化による農業従事者の減少によって、業績に反映する影は大きくなるばかりでした。

1990年代後半、父・正弘さんは打開策として花苗の取り扱いを強化し、屋号を「元気彩園」へと変更します。一方の史朗さんは県外の大学へと進学。この時、家業の継承については、父子ともにさほど意識することはなかったといいます。

「進学といっても、将来を具体的に考えてのものではなく、得意教科優先の進路決定でした。ただ、サラリーマンという将来ではなく、何らかの形でいつか起業をと、心に期すものがありました」

転機が訪れたのは「父、急病」との報せ。2001年、史朗さんは家業を手伝うために、大学を中退し帰郷を決意。「継ぐというよりも、家業起点に事業を発展させてみたいという気持ちは持っていましたので、さほど抵抗はありませんでした」と彼は振り返ります。

新事業として挑んだ、ハンギングバスケットでの花苗の寄せ植え

元気彩園としての主力事業はあくまでも農業用肥料の販売であり、ただでさえ目減り傾向にあった売り上げは、農閑期、農繁期で極端に差があるという問題点も抱えていました。その埋め合わせにと花苗の販売を始めた正弘さんが、もともと知識にあったハンギングバスケットに価値を見出します。

ハンギングバスケットとは、鉢植えを壁にかけるなどして楽しむイギリス由来の装飾手法。花苗の寄せ植えと組み合わせた商品を考案し、史朗さんも制作に打ち込むようになります。

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「花苗をバスケットに植えるという作業は、立体造形や色の組合せなど、アートとしても大変に奥深いもので、子どものころから工作が得意だった私は、すっかり魅了されました」

史朗さんは、父に続いて「ハンギングバスケットマスター」という資格(当時はイギリス王立園芸協会日本支部、現在は一般社団法人日本ハンギングバスケット協会による認定)を取得し、制作に没頭します。2000年代始め、園芸業界においてハンギングバスケットを主要品目として扱う店はまだ少なく、「マスター」認定者は山口県においては正弘さんが第1号、彼が第2号という状況だったといいます。

当初は店頭販売のみでしたが、史朗さんは大学時代のアルバイト経験を生かして、インターネットを通じた販路開拓に取り組みます。まず大手オークションサイトへの出品を始めたところ、店頭よりも売れ行きが好調だったことから、一つの手応えをつかみます。

さらに、地元商工会議所主催による経営者向けセミナーを受講し、講師に招かれていた大手通販サイトの創業メンバーの講演に感銘し、大きな一歩を踏み出します。

「『とんがり』を持つ店が選ばれる――。こだわりや専門性を貫けば万人でなくとも刺さる人には刺さるという講師の話を実践しようと考えました」

花関連の産業の中で園芸に、園芸業界の中でも花苗に、そして花苗の寄せ植え、ハンギングバスケットへとジャンルを突き詰めていくことで、史朗さんは同業者がほぼいない部門の開拓に成功。かくして2003年、自身が店長を務め、大手通信販売サイトに専門店をオープン。同サイトの部門としてはオンリーワンの出店を成し遂げたのです。

「待ち」の姿勢が招いた苦境、主力事業の不振が追い討ち

2007年にかけて、インターネット上の店舗は順調に売り上げを伸ばしていきます。低迷する本事業を補うかのごとく、光明が差したかに見えましたが、やがて売り上げは横ばいとなり成長が止まります。

「ずっと『待ちの商売』でした。メールマガジンなどの販促活動は、暇な時や気が向いた時だけ。新規顧客を“お得意様”にするというケアが十分にできていない有様でした。今でもそうですが、腰が重い、とにかく重いのが私の欠点です…」と苦笑いする史朗さん。

売り上げが伸び、生活ができていたので、それ以上の努力を怠っていたという彼。家族のみの経営ゆえ「叱ってくれる人」が存在しない、また、気分に任せていた販促活動、つまり計画性の無さがもたらした現実でした。

そして、ネット上の店舗運営に注力していた史朗さんの一方で、元気彩園の事業全体はというと、進退窮まる寸前にまで業績は悪化。寄せ植えの販売が利益を十分に生み出していたにもかかわらず、それを上回るスピードで肥料販売業の不振が加速していたのです。

「寄せ植えは売れているのに、仕入れや借り入れの支払いのためにお金が入ってこない状況が続き、危機を肌で感じるようになりました」と史朗さん。せめて、自身がさらに売り上げを伸ばせばと思うものの、前述の通り我が身も霧中。焦りは募るばかりだったといいます。

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flower46株式会社 代表取締役

楽天市場ハンギングバスケット寄せ植え専門店「花うるる」店長

本間 史朗(ほんま しろう)さん

1981年、山口県山口市まれ。県立山口高校卒業後、名城大学農学部へ進学。2001年、父親の急病のために3年次をもって中退を決意。帰郷し家業の「元気彩園」を手伝う。父親が手がけていたハンギングバスケットの寄せ植えへの関心を強め、2003年に「ハンギングバスケットマスター」資格を取得し、専門店「元気彩園楽天市場店」を出店し店長を担う。2016年、父親の引退にともない「元気彩園」を閉店し「flower46」を起業。同時に楽天市場店を「花うるる」と改称。2017年、「元気彩園」時代からの寄せ植えの累計制作個数が7万個を超えたことから、ギネスブックに世界記録として申請中、現在に至る。

苦手同級生との再会が起死回生のきっかけに

その後もビジネス関連の書籍を読むなどして、事態の打開を模索していた史朗さん。2011年8月、いつものように地元書店に訪れると、そこに平積みされていたのは高校時代の同級生・中司祉岐(なかづかよしき)さんが出版した書籍でした。

「友人から企業コンサルタントをしているという話は聞いていましたが、一緒のクラスだったのは高校生活でも1年だけ。“豪快であけすけな印象”で、内向的だった自分とは真反対。正直苦手な存在だったんですよ」と史朗さんは笑います。

卒業後は再会することもなかったクラスメート。その活躍を聞いていた矢先で著書を目の当たりにし、思わず手に取ったそう。「内容を読んで、苦しんでいる自分のために書かれていると感じたほど、大きな衝撃を受けました」と当時を振り返ります。

「株式会社日報ステーション」の代表取締役・中司さんのコンサルティング手法は、その社名が表すとおり日報記入をベースとするものです。そのシートには氏が培った視点に基づいた販売・業務プロセスが随所に散りばめられており、当時の時点で既に県内外の経営者より注目される存在となっていました。

「中司氏考案による『応援日報』は、記入者にとって業務に必要なことのほぼすべてをマネジメントしてくれるシステムとなっていたのです。まさに、わたしに欠けていたものそのままを補うものでした。そして、日報添削による“叱咤激励”も今までの環境になく、渇望していたものでした」

さっそく“苦手意識”を振り切り、門を叩いた史朗さん。日報記入と中司さんとの面談を積み重ねていくうちに、ずっと横ばいだった売り上げは次第に上向き始めます。

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「以前は気分任せだった販促活動が、ルーティンワークとして取り組めるようになりました。顧客へのメールマガジンの定期化は、話題作りとして常に新作や目玉商品を用意するなど、情報収集にも貪欲になり、本当に自身は変わったと思います。また、10年来のファンやリピーターの声がより肌で感じられるようになり、何よりの励みになりました」

起業から組織作りへ。経営者としてのさらなる成長段階

日報を継続し、中司さんの叱咤激励を受けながら着実に教えを実践するなど、売り上げを伸ばし続けた史朗さん。2016年、父・正弘さんの引退を契機に元気彩園の閉店と、自身が代表となる「flower46株式会社」の立ち上げというひとつの決断をします。

「『本間週治商店』『元気彩園』として続いた創業137年の家業を閉じることに思うところはありましたが、ハンギングバスケットの寄せ植えを支柱に、改めて自身で0からスタートしてみたいと考えました」

ちなみに「46」は「史朗」の語呂合わせ。インターネット上の店舗も「花うるる」と名称を変え、「花でうるおう毎日」とショルダーコピーも冠しました。

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そして、寄せ植えの作成人員を増やさなければ、これ以上の売り上げ増加には限界があることを感じ始めていた彼は、企業としての組織作りにも取り組み始めます。実はとても人見知りで、人を一人雇用するのにもストレスを感じるという史朗さん。「分身が多いほど、お客様にときめきを与えられる」という中司さんの言葉が後押しになったのだとか。

「そう、『ときめき』が大事なんです――。何を取り組むにしても、『ときめき』が根底になければ意味がないと思うようになりました。寄せ植えの制作、商品の考案、さらに、これからの事業展開にしても、わたしたちのキーワードとして大切にしていきたいと考えています」

現在、史朗さん自身を含め、9人の陣容となったflower46。寄せ植えの作成担当は3人の女性スタッフが務め、取材当日も和気あいあいと作業を進めていました。

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「じっくりと花を触ったことすらなかったスタッフが、今では高度な技術を身につけ、素晴らしい商品を生み出してくれています。私は、これからはプレーヤーではなく、マネージャーとしての手腕をさらに身につけていかなければなりません。まずは『花うるる』をさらに大きくすることが、一つの目標です」と彼は目を輝かせます。

旗手の一人として業界全体の価値底上げに貢献を

将来の夢として、業界全体の価値をさらに高めるために、「ポータル」的な立場をいつかは担いたいと話す史朗さん。全国に寄せ植えの技術を持つ人が増えているものの、事業として成り立たせている人はまだ少ないのだとか。

自身一人が第一線で輝くのではなく、トップフラワーアーティストたちの存在を世の中に知らしめるような活動を、国内ばかりか世界を舞台にプロデュースしたいと、将来を描いているそうです。

「『花うるる』でも商品に取り入れていますが、緻密かつ豪華に見せる『ギャザリング』という寄せ植え技術は、私の師匠・青木英郎氏が生み出した革新的な技法です。その技法による作品はため息がでるほどのクオリティで、世界に向けても十分に売り出せるほどと考えています」と史朗さん。

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「価値の底上げと消費の増加は、花苗農家やハンギングバスケット生産者といった、関連産業のモチベーションアップにつながるはずです。その窓口となる私たちは、さらにクオリティの高い、見たこともないような商品を世の中に送り出し、価値を知ってもらうよう努力を続けることが大事です。まさに『ときめき』なくしては成し得ません」

ちなみに、取材日は新年早々。2018年の目標を尋ねると「中間管理」を担える人材登用との返答。「現場から離れられる時間がどれだけ作れるか、新たな取り組みに『ときめく』時間をどれだけ増やせるのか、今から楽しみです」と話してくれました。

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flower46をハンギングバスケットに例えるならば、寄せ植えの作成はまだ始まったばかり。これからどんな花が植えられ、どんなときめきを感じさせてくれるのか、史朗さんのその手腕に期待はふくらむばかりです。

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flower46株式会社 代表取締役

楽天市場ハンギングバスケット寄せ植え専門店「花うるる」店長

本間 史朗(ほんま しろう)さん

1981年、山口県山口市まれ。県立山口高校卒業後、名城大学農学部へ進学。2001年、父親の急病のために3年次をもって中退を決意。帰郷し家業の「元気彩園」を手伝う。父親が手がけていたハンギングバスケットの寄せ植えへの関心を強め、2003年に「ハンギングバスケットマスター」資格を取得し、専門店「元気彩園楽天市場店」を出店し店長を担う。2016年、父親の引退にともない「元気彩園」を閉店し「flower46」を起業。同時に楽天市場店を「花うるる」と改称。2017年、「元気彩園」時代からの寄せ植えの累計制作個数が7万個を超えたことから、ギネスブックに世界記録として申請中、現在に至る。

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