限界集落に“自然体”で人を呼び込む―若草HUTTE店長

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限界集落に“自然体”で人を呼び込む―若草HUTTE店長
2018/05/12 (土) - 07:00
小御門 綾

宮崎県の山間部には高齢者比率が高く、人口が減り続ける、いわゆる「限界集落」も少なくありません。県の北部に位置する美郷町南郷(なんごう)の渡川(どがわ)地区もその一つ。実際に行ってみると、コンビニもなく、学校もなく、日本三大秘境に数えられる宮崎県椎葉村(しいばそん)よりも“何もない”と感じる人も。そんな集落と街をつなぐ架け橋になっているのが、カフェ「若草HUTTE(ヒュッテ)」の店長、今西正さんです。これまでの仕事とUターン、そしていまの仕事についてお話を聞きました。

高校進学で誰もが故郷を離れる土地に生まれ

「山師」という職業をご存じでしょうか。儲け話を好む、いささか悪い意味でのそれではなく、林業に従事する人のことをこう呼びます。父が渡川で山師をしていた今西さんは、兄と弟のいる三人兄弟の次男坊で小さな頃から山や川が自分たちの遊び場でした。

今西さんが通っていた渡川中学校は2005(平成17)年に、渡川小学校は2011(平成23)年に廃校になりました。小学校は創立136年もの歴史ある学び舎でした。しかし、誰も過疎化の波に抗うことはできなかったのです。

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この地区では当時から高校に行くため、誰もが親元を離れることが当たり前でした。今西さんは一番近い町である日向市の県立富島高校へ。卒業後、宮崎市に行き、簿記学校に入ります。2年生になり、周囲が就職のために具体的に動き始めるなか、「就職活動自体、意味が分からなかった」そう。“夢や希望がない”というモラトリアム的な悩みがあったわけではなく、やりたい仕事が何か、単純に分からなかったといいます。

福岡へ…社会人のスタートはアパレル

そんな頃好きだったのが矢沢あいさんのコミック『ご近所物語』。服飾デザイナーになる夢をもつ女子高生の話でした。「渡川には洋服を売っている店もなくて、ファッションを知る環境がありません。それが街に出ることによって、服飾に興味をもつようになっていました。この漫画の影響もあって、日向や宮崎でフリマをやったりもして、それがとても楽しかった。いま考えると本当に拙いものですが、針金をぐるぐる巻きにしてアクセサリーをつくったり、キーネックスレスをつくったりして販売していたんです」

今西さんは簿記学校の先生に服飾関係の仕事をしたいと相談。ほどなくして、先生が紹介してくれたのが、いま店長を務めるカフェの隣にあった服飾店でした。

「先生と一緒にその店に行くと、店長さんに繊研新聞をすすめられて読むように。その後、ずっと購読していました」とのこと。業界の現状や求人情報を知るにつれ、自分が働きたい店の具体的なイメージもわいてきたといいます。

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その後、働ける店を探しに福岡へ。同級生の親戚が経営する店をたまたま紹介してもらい、即決で働きはじめたそう。オーナーは今西さんと同じ美郷町南郷の出身でした。

アメリカ・西海岸を代表する有名アパレルブランドをメインで扱うセレクトショップを取り扱う店で、社会人1年目がスタートしました。月間のノルマはあるものの、仕事は楽しかったという今西さん。けれど3年が経つころ、ふと「何歳まで洋服屋の店頭に立てるんだろう?」と疑問がわき、24歳のとき、服飾メーカーへ。

そこで営業・企画の仕事を始め、ものづくりに直接携わることになります。デザイナーが自分の強い個性や思いで服をつくる存在であるとするならば、彼のやっていたことはもっとリアルに、「どうやったら売れるか」を考えること。定番アイテムながら、生地感・サイズ感、ボタンやステッチなどの細かい仕様で差別化を図り、売れるものをつくっていく。これが今西さんの仕事でした。30代半ばまでをこの会社で過ごし、またここで転機が訪れます。

「好きな卓球で飯が食える」と2度目の転職

次についた職業は、福岡の「卓球バー」の店長。縁あって、立ち上げから任せたいという会社社長に声をかけられます。

「中学、高校時代は卓球部。いまは日本選手も強くなって、テレビで試合の生放送も珍しくありませんが、昔は地味なスポーツの代名詞でした。高2のときは、部員が自分一人になってしまい、壁打ちとサーブ練習ばっかりしていたんですよ(笑)」

今西さんにとって「好きな卓球で飯が食える」とは夢のような話。これが2度目の転職でした。

高級感あふれる内装に卓球台が4台。瞬く間に話題の店となり、のちにオリンピックでメダリストとなる選手や当時の日本代表選手なども訪れたことも。初めて卓球をやる人からトッププレーヤーまでが楽しむ場所でした。ここで今西さんは改めて、接客の楽しさを知ります。

「お客さんと仲良くなって盛り上がって、満足して帰ってもらう。そして、また会いに来てくれて。私が卓球の相手をすることもありましたが、店で卓球を初めてやったお客さんが『ラケットを買いました』と報告してくれたり、『卓球をおしゃれにしてくれてありがとう』と感謝されたり…、うれしかったな」

1人で来る人、カップルで来る人、コンパなや歓送迎会などで来る人と、それぞれが楽しめる店で、「卓球は最強のコミュニケーションツール」であることを実感したそうです。

街場につくる「限界集落」の“出口”と“入口”

充実した日々を送っていましたが、店長を1年半務めた後、故郷へ戻ることに。
「コレという決定的なきっかけは特になかったけど、いろいろな要素が積み重なった感じ」と今西さん。先に福岡からUターンしていた弟の猛さんが、同世代の人たちと故郷である渡川のために組織を立ち上げ、イベントを行うようになり、自然と故郷に足が向く回数が増えたといいます。

それから、風のおもむくまま、心のおもむくまま、渡川に戻り、山師に。猛さんが始めていたシイタケなどのネット販売などの事業に加わり、シイタケの「原木オーナー」制度も実施します。木の養分だけで育つ無添加、無農薬の自然栽培で作られた原木シイタケのおいしさを伝えようと、原木のオーナーになってくれる人を募集し、ゆくゆくはシイタケの収穫体験で渡川に来てもらうというもの。人口350人の地区のシイタケに、全国から延べ170人の応募が。街から地元へ人を呼び、街と故郷がつながる初めての企画でした。

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その後も、山を荒らすシカの問題とジビエのおいしさを知ってもらうイベントなどを行い、猛さんとともに「山師の今西兄弟」として知られるように。「何もしなければ、限界集落から消滅集落になってしまう危機感」が彼らを突き動かし、存続させるためにできることを繰り出していきました。その過程で、街場と集落をつなぐ場所をつくることを決めます。

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「地域の持続を考えると、地元のものを売る場所である『出口』をつくり、同時にそこを街の人たちの『入口』にして、美郷町や渡川地区のことを知ってほしいと思った」と今西さん。

宮崎市の繁華街、若草通り近くに地元産品を販売するカフェ「若草HUTTE(ヒュッテ)」とコワーキングスペース、イベントスペースの「co-ba(コーバ) MIYAZAKI」を2017年8月11日、山の日にスタートさせました。若草HUTTEのテーマはずばり、「山と街を繋ぐ」ことでした。

カフェでは毎日、鹿肉料理を提供し、山師・今西兄弟が育てた干しシイタケや地元の野菜、加工品を販売。併設するイベントスペースでは、「山師」「ジビエ」「農業」「町おこし」「移住」「起業」などなど、さまざまなキーワードをテーマに多くの人が集まり、学ぶ機会をつくっています。

移住すると、意図せずとも「やりがい」が倍増する

インタビューしていて気付いたのは、今西さんがこれまでやってきた仕事に対して、ひとつもネガティブな言葉を発しなかったこと。「楽しかった」「おもしろかった」とそれぞれの仕事を振り返っていました。不満があって仕事をやめたことは一度もなし。「これでいいのか」という若さゆえの迷いはあれど、自分の思うままに人生を選択。山で暮らす人たちが自然と共存するように、自然に身を任せるようにその時々の仕事に熱中してきたように見えます。

そんな今西さんにとって、住む場所を変えることもまた自然なこと。移住やUターンを考え、もし迷っている人がいたら、どうアドバイスするかと聞いてみたところ、こう話してくれました。

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「移住やUターンに確固たる理由がないといけないのか、ということですかね。なんとなくじゃダメなの?と。みんながみんな、将来をきちんと見据えて、何かを決めて人生を歩んでいるわけじゃないと思うんですよ」

真剣に悩んでいる人にとっては、無責任に聞こえるかもしれませんが、要は「移住したいと思っているなら、その気持ちを大事にしたほうがいい」ということ。

「環境が変わるといままでのキャリアがゼロになるんじゃないか、と心配する人もいるでしょうが、そんなことは考えても仕方がない。それよりも、いまとは違う環境に自分を置いたときに、どうやって自分を生かせるかを考える。キャリアって、単純に積み重ねていかなくてもいいと思うんですよ」

また、「都会から地方へ移住すると、人ひとりの役割が増える」ことも指摘します。人口減が喫緊の課題になっている場所で、移住者は地域の人にとって、“ありがたい存在”です。さらにメンバーが減って困っていた地域の消防団や青年団に入るなどすれば、それだけで自分の価値が上がるような気持ちを味わうのはめずらしいことではないでしょう。「必要とされると人間はうれしいもの。やりがいを感じるのは当然のことです」と今西さん。

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若草HUTTEをオープンして半年。さまざまなイベントを開催し、メディアに取り上げられる機会も多くなり、今西さんのファンも着実に増えているように見えます。

順風満帆ですか? と尋ねると、
「いや、まだまだ。箱ができただけで、何もなしえていない。実績を上げているわけじゃないですから。ただ、渡川での婚活イベントに参加してくれた女性たちが店に来てくれたり、逆に若草HUTTEに来て、渡川に興味をもってくれた人たちが、渡川のイベントに友人を連れて参加してくれたり、『関係人口』が少しずつ増えていることは実感しています。急に移住者が増えるような土地でないことは分かっているから、少しずつやっていくしかないと思っています」という答えが返ってきました。

二十歳のころ、自身の将来を考えたときに紹介され、アドバイスをもらった店があったすぐ近くの場所で、カフェを運営する今西さん。
「いま、自分がここで店をやっているのは不思議な気分だけど、そのときの自分のような学生や若者が頼ってくることがあれば、少しは参考になる話ができる自分でありたいと思っています」

故郷と街をつなぐために“必要とされる”人、今西さん。笑顔の裏には、仕事へのやりがいがあふれていました。

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「若草HUTTE」店長 今西正さん

1978年宮崎県美郷町南郷・渡川生まれ。県立富島高校卒業後、宮崎市の簿記専門学校に進み、その後福岡でアパレル店など3社に勤務。2015年7月故郷に帰り、山師になり、ネットショップ「渡川山村商店」の運営を始める。2017年8月、宮崎市で「若草HUTTE」「co-ba MIYAZAKI」オープン。独身。

小御門 綾

小御門 綾

編集者/ライター
福岡県生まれ、神奈川県川崎市育ち。宮崎県在住。
明治学院大学卒業後、メーカー勤務。その後、出版社勤務を経て、フリーランスの編集者、ライターに。現在、「日向経済新聞」(みんなの経済新聞ネットワーク)、「miyazaki Blue」の編集長を務め、宮崎から情報を発信する。

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