町も仕事も、自分好みにアレンジする。―パン豆「ひなのや」代表

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町も仕事も、自分好みにアレンジする。―パン豆「ひなのや」代表
2018/05/21 (月) - 07:00
島崎 加奈子

日本人ならきっと食べたことのあるポン菓子。愛媛県東予地方では、「パン豆」と呼ばれ、結婚式の定番の引出物だそう。大手電機メーカーから、実家の農業用機械販売業を継いだ玉井大蔵(だいぞう)さんが、いまや日本全国、海外にも販路を広げるポン菓子店「ひなのや」をつくるまでの軌跡と、これからの働き方について伺いました。

有名な会社で働くのがステータスだった会社員時代

できるだけ偏差値の高いところを受験して、石川県の国立大学へ進学し、就職活動では名だたる有名企業を受け、内定した企業へ入社したという玉井さん。

「部活で履いていた靴下も、『ミズノじゃないといや!』という感じで、昔からブランドへのこだわりが強くて。就職は特にやりたいことはなかったのですが、有名企業に入って安定し、給料もいい、これぞビジネスマンというものになりたいと思っていて、片っ端から有名企業を受けていました。大手電機メーカーから内定をもらって、金沢に北陸支社をもっていた半導体の部署に配属されて営業をしていました。働きだしてからも、人にどう見られているのかが一番大事でしたね」

思い通りのキャリアをスタートさせましたが、入社してわずか2年目の春に電機業界全体が不況に突入。玉井さんの会社も同業他社の事業部と合併することに。玉井さんはせっかく入社した会社から一度出ることを強いられ、新設された合併会社に異動。面白くない状況になってしまいました。

転機がやってきたのは27歳、群馬県の高崎市への転勤が決定したときのこと。はじめての海に隣接しない地域での暮らしをイメージできず、急速に「会社をやめようか」という発想が頭をもたげたそうです。

「そんな折、父親に『そんなにいまの仕事が嫌だったら家の仕事継いだら?』といわれて、いつか家業を継ぐだろうという思いもありましたし、僕も『じゃあ継ぐわ』という流れになって、実家に戻りました」

2007年、結婚と同時に実家に戻り、妻と一緒に家業を継ぐ、新しい生活がスタートしました。

先行き不透明な農業情勢を知り、6次産業ビジネスを開始

玉井さんの実家は、農業用機械の販売店。帰郷後ほどなくして、自身が想像していた以上に経営環境が芳しくないことに気がついたそうです。

「いまでも農家の数はどんどん減っていますし、高齢化も進んでいますから、このままではこの先厳しい…どうにかしないと、と思って。うちのお客さんはお米農家さんがほとんどだったので、まずはお客さんが潤ってもらおうと、お米を相場よりも高く買って、高く売るというディーラーのようなことを始めました。でも当時はデフレで牛丼1杯180円という時代でしたし、高額のお米はなかなか売れませんでしたね」

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お米を高く売るビジネスと同時に進めていたのが6次産業ビジネス。作物の生産(1次産業)、食品加工(2次産業)、流通・販売(3次産業)を掛け合わせた事業を開始するため、2009年12月に株式会社りんねを設立。慣れない手つきでおにぎりやお餅をつくって、農協の産直売り場において、夕方に売れ残った在庫を引き取りに行くのですが、生モノなので廃棄。「これはきついな、やばいぞ」と思い半年もたった頃、目を向けたのがポン菓子機でした。

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現在も使っているポン菓子機。穀物に圧力をかけて、一気に開放すると膨らんでサクサクになるという仕組み

お米の加工を始めようと思ったときに、えひめ産業振興財団の主宰する新規創業者向けの助成金に応募。そこで得た資金で、お米を焚く機械、お餅つき機、そしてポン菓子機の3種類のお米加工の機械を購入しました。ポン菓子機はアドバイザーさんの勧めで購入したもので、おにぎりもお餅も売れない中、頼みの綱として、お米を膨らませてみることにしたのです。

予想外の売れ行きを見せるポン菓子

冒頭でも紹介したように、愛媛県東予地方では「パン豆」と呼ばれるポン菓子。玉井さんにとってのポン菓子は、小さい頃から家の何処かに転がっていて、お菓子がないときに仕方がなく食べていたような存在だったといいます。引き出物などでもらうことはあっても、自らお金を出して買うものではなかったそう。

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できたてのポン菓子。大砲を打ったような音とともに、魔法のように膨らんで出来上がる

「膨らましたポン菓子を透明の袋に入れて、いつもの売り場においてみたら、予想外に売れたんです。それで、キャラメルポップコーンがあるなら、キャラメルポン菓子もいいだろうと思って、キャラメル味をつくったら、更に意外と売れて…こうして毎日少しずつ売上が上がって、日々の売上報告が楽しみになりました」

ポン菓子に手応えをつかみ、メインビジネスにしようと決意。見た目も可愛らしいパッケージに変更しようと、地元のイラストレーターに依頼して、ラベルシールを作成。売り先は地元の異業種交流会で知り合った飲食店の社長にお願いして、レジ脇に置かせてもらうなど、販路も拡大していきました。

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カラフルでかわいいパッケージ。包装紙にも愛媛の観光名所が描かれている

「ひなのや」を地方発のおしゃれなお土産に

2010年11月25日、現在ポン菓子の加工をしている場所に、屋号「ひなのや」ののれんを掲げました。思いがけないポン菓子ビジネスは、いまでは全国に販売拠点を構えるほどの人気を見せるまでに成長していますが、どんな道のりだったのでしょうか。

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こののれんをくぐって、ひなのやのポン菓子が日本中へ出荷されている

「当初の目標は雑誌のおしゃれなお土産特集とかに載れるくらいの商品に育てたいと思っていました。田舎に帰ってきてろくなことがなかったのですが、都会に戻りたいという未練もありませんでした。でもほどよく都会と関わっていたいという想いはあったので」

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一日約30升のお米がポン菓子に。この機械1台で膨らましたポン菓子を、すべて手作業で味付けをして、袋詰めまで行っている

いきなり東京に営業にいくことは出来ませんでしたが、口コミや紹介で地元のおしゃれなセレクトショップなどに置かれるようになっていた頃、全国からアート好きな人が集まる瀬戸内国際芸術祭が2010年に開催されます。多くの観光客が瀬戸内の島々を訪れ、その流れのなかで高松市内のセレクトショップで扱われていた玉井さんのポン菓子をお土産として買って帰る人もいたといいます。その中には、まだ未開拓の商品を探すために、全国に店舗を構える有名ブランドのバイヤーも訪れていたようで、ひなのやの商品の取扱いをお願いされる電話が一本、また一本と掛かってくるようになったそう。こうして東京をはじめとした主要都市へ、ひなのやのポン菓子が運ばれていくようになりました。

大学も就職先も、ブランドに憧れてその中に飛び込んだ玉井さんでしたが、今度は自分で人に憧れられるブランドをつくる側になっていました。

自分がいなくなったあとも、残り続ける事業に

2014年12月には、世界に20店舗を構える外資系リゾートホテルの宿泊客へのウェルカムスイーツに選ばれ、中でも採用された愛媛ならではの伊予柑味は独特の酸味が爽やかで、外国からのお客さまのウケも良いそうです。さらに口コミは止まらず、そこに宿泊していた上海からの宿泊客が、「是非上海の店舗で取扱いたい」と相談をうけたことから、海外販路へのきっかけが開けるまでになりました。

「お話をもらったとき、国内マーケットでも十分回っていましたし、無理して海外に出る必要はないなと思っていたので、最初は断る前提でお話を聞いていました。ですが、『君は世界的なシェアで見たら日本という国がどのような状況に置かれているかを、ちゃんと考えたことがあるか?』と聞かれてハッとしました。どんどん成長していく周りの国に比べたときに、日本のマーケットがシュリンクしているのはわかっているのに、僕はそのとき自分の代だけうまく国内で売り抜けようと思っていたんですよね。でもそれでは事業そのものの魅力だったり、成長性ってすごく限定されてしまって、それは良くないと思い直しました」

海外のお客さまとのお付き合いは、自分がいなくなった後も残り続ける事業をつくりたいと思うきっかけになりました。今後は香港にも出荷されていく予定だといいます。子どものときには家の片隅に転がっていたポン菓子は、玉井さんの手によって海を渡り、いつかは日本のお菓子になるのかもしれません。

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従来通りの引き出物用のポン菓子もつくっている。ポン菓子は「もらうもの」、この風習も残していってほしい

交流人口を増やして、自分好みの町をつくりたい

愛媛県西条市の実家に戻って早10年。他の会社に転職をするという選択肢もありながらも、地元に戻ってきた背景には、自分の生まれた町を大切にしたいという気持ちもあったようです。今後は、製造拠点となっている古民家に、お客さんに楽しんでもらえるようなカフェを増築する計画を立てているそう。この10年間で起こった気持ちの変化とは何だったのでしょうか。

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壬生川駅前にある、路面店。サクサクのポン菓子が乗った限定アイスクリームも食べられる

「いまでこそ思いますが、会社や組織の中でも、仕事は自分でつくるもので、自分にピッタリ合う職場はないなと。そして合わないから転職を繰り返してもずっと満足はできないと思います。新卒で入社した会社は、『50年は安泰』って思っていたのにあっと言う間に社名が変わって、安心とか安定なんていうものはないんだなと思い知らされましたし、いまでは仕事も環境も自分好みに自分が変えていかないといけないと思うようになりました」

色々な経験をもった人に出会える都会の暮らしに比べて、地方は良くも悪くも人の出入りが少ない土地。なにもせずに待っているばかりではなく、自ら人を呼び込む仕組みをつくっていきたいそうです。

「この店や商品をきっかけにして、西条市をいろんな人に足を運んで楽しんでもらえるような、交流人口を増やしたいと思っています。ひなのやが好きな人が『ひなのやって愛媛の西条市というところらしいよ』って西条市を知ってもらえるキッカケになれれば嬉しいですね」

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元々祖母の実家だったという古民家を改装して、ポン菓子がつくられている。今後この敷地内に将来的には工場やカフェをつくる予定

山の中にひっそりとたたずむ古民家に、時折大砲の音のように鳴り響くポン菓子機の音。その音に驚きながらも、ポン菓子のできあがりを告げる白い煙にワクワクするお客さんであふれる光景。「ひなのやのパン豆をつくっているところを見たい」「できたてのパン豆を食べたい」と、ひなのやが地域に人を呼び込むようなブランドになる日はそう遠くないような気がします。

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玉井 大蔵(たまい だいぞう)さん

株式会社りんね代表。大学卒業後は、三菱電機半導体部門の営業職に就く。家業を継ぐために地元愛媛県西条市丹原町に戻り、2009年パン豆の製造販売「ひなのや」を設立。現在37都道府県で販売され、上海をはじめとした海外の販売拠点も拡大している。

島崎加奈子

島崎 加奈子

和文化プロデューサー・フリーライター。着物販売、広告代理店を経て、“きものでかける“という着物のおでかけイベント団体を主宰する傍ら、次の世代に”日本の良いものを伝える営業マン“として、専門学校講師、スタイリスト、和文化と中心としたイベントやメディアの企画・運営に携わる。

編集/株式会社くらしさ

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