不可能を可能にするには、やるかやらないか。とにかく打席に入れ

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不可能を可能にするには、やるかやらないか。とにかく打席に入れ
2018/06/11 (月) - 07:00
鳥羽山 康一郎

メジャープロスポーツの地位を目指して発足したバスケットボールのB.LEAGUE。その2部にあり1部昇格を目指している茨城県のチームが「サイバーダイン茨城ロボッツ」です。運営会社を率いる山谷拓志氏は、もともとアメリカンフットボールの選手でした。山谷氏がたどってきた道のりや、地方におけるスポーツビジネスの現状などをお話しいただきました。

リクルートでの営業経験が原点だった

リクルートには「アメリカンフットボールありき」で入社したと思われるんですが、一般入社です。最初はアメフトをやるつもりはありませんでした。強いチームづくりには人を採用することが大切だという話をリクルートの方から聞いて、人を採用する仕事に携わろうと思ったんです。結局、アメフトチームの「シーガルズ」にも入ることになるんですが。
ただ、選手であっても普通に営業に配属されて、フルタイムで仕事をしながら週末に練習。制約があると、人間は知恵を出すものです。入社4年目でライスボウル優勝を果たすんですが、お客さんのところに試合のチケットを持って行くなど営業にもうまく活用していました。

私の仕事における信条は、「できるかできないか」ではなく、「やるかやらないか」。アポイントを取れなくても営業に行け、打率を高めるためにはとにかくバッターボックスに入れ、です。空振りばかりしていても、どうやったらバットに当たるか、ボールを飛ばせるか考えていくわけです。コトを起こさずして、何も起こらない。リクルート時代にたたき込まれたスタイルを、今でも守っています。

リクルートでは営業を4年間やり、企画部とコンサルティングを2年ずつ経験しました。シーガルズが独立子会社となって新しいスポンサーを見つけることになり、アシスタントGMというポジションにも立ちました。選手のコーチングやチームの立て直しなどに関わり、スポーツビジネスへの興味も強くなっていったんです。

スポーツマネジメント業界で組織づくりのノウハウを活かす

2003年に、リクルートの上司が立ち上げた教育研修の会社「リンクアンドモチベーション」に移りました。そこで培った組織コンサルのノウハウを、スポーツ界にも応用していける仕事をつくろうと、スポーツマネジメント事業部を発足させたんです。新人研修を選手向けの研修にアレンジしたり、管理職研修をコーチ向けの研修にアレンジしたり。今までにないビジネスです。今でこそ「モチベーション」という言葉はポピュラーですが、当時スポーツ選手のモチベーションを上げるというのは最先端の取り組みでした。それが話題になり、プロ野球、サッカーチーム、企業のスポーツチームから引き合いが来るようになりました。

その会社の社長は自身もラグビー部出身でスポーツ界にも造詣が深く、いろいろな監督とも交流があったと思います。さまざまな方と対談などもしていました。当時は会社がちょうど伸びる時期にさしかかり、スポーツマネジメント事業はブランディング構築にも役立っていたのだと思います。新卒採用時のセリングポイントにもなっていたんじゃないでしょうか。

「ターニングポイントは、栃木のプロバスケットボールチーム経営」というチャンス

スポーツマネジメントのコンサルタントをしていて、自分がやったことのない会社経営について偉そうに話すのが、ちょっと腑に落ちないと感じるようになっていました。こうしたら会社は強くなる、組織がよくなる、ということを当事者としてやってみたい気持ちがありました。

ちょうどそのとき、プロバスケットチームを立ち上げる動きがあり、栃木に来て社長をやらないかという話をいただきました。栃木生まれでもなくバスケットボールをやったこともなかったんですが、バスケットという競技人口の多いスポーツが、プロがないばかりに日の目を見ていないのはもったいななあと。何か新しいことを自分が主体となってやろうと、引き受けたわけです。それが今の栃木ブレックスです。ここが私のターニングポイントのひとつだったと思います。栃木は当時プロスポーツ不毛の地といわれていて、バスケットチームに至っては影も形もありませんでした。でも、商品としての可能性があると信じていた。時間がかかるかもしれないけれど、なんとか認知させればと思ったんです。

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栃木ブレックス時代の山谷氏

既に結婚していて、東京出身の妻と東京に住んでいました。最初のうち私が宇都宮でひとり暮らし。3年目に家族が揃いました。私はそれほど都会ではない八王子出身なので、地方で暮らすのはまったく抵抗がありませんでしたし、妻も人見知りをしないのでスムーズに宇都宮暮らしがスタートしました。

田臥選手獲得の勝因は、「躊躇しない行動力」

栃木ブレックスには、日本人初のNBAプレイヤー・田臥勇太選手がいます。獲得に至るはじまりは、田臥選手が獲れないかなという会話から。何のツテもなく部下をアメリカへ行かせて、エージェントの住所を聞き出して待ち伏せして。本人には会えなかったんですが、ポストにチームの資料を入れてきました。その後もメールしたり電話したり。そしたら移籍のシーズンを迎えた頃、こちらから出したオファーに、FAXで返事が返ってきたんです。最初は騙されているんじゃないかと(笑)。そしたら本人から「明日行きます」という連絡も来ました。それを発表したら、ホームページのサーバーは落ちるわ電話はパンクするわで大騒ぎに。
後でなぜ来たのか訊いたら、声をかけてきた日本チームはうちだけだったとのこと。他のチームはどこも声をかけていませんでした。無理だと思って、行動してなかったんです。田臥選手の獲得はコネや裏技ではなく、行動だけ。やらなければ結果は出ない。

営業でも一緒だと思います。いろんな会合に顔を出しているうちにつながりができたり、声をかけてもらったり。社長の行きつけのお店を聞き出して偶然を装って会い、大型受注につながることもあるでしょう。洒落たことは何もせず、「行動」しかしていません。地方でも東京でもこれは同じです。

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茨城のチームを日本一にする──これが2つ目のターニングポイント

栃木ブレックスでは田臥選手も獲得して、優勝もした。黒字決算も3期連続で達成しました。私自身、そこでやり尽くした感がありました。そんなとき、バスケットボール協会から、プロリーグをつくるから力を貸してくれとオファーを受けました。当時、プロスポーツとして確立された野球やサッカーに比べ、バスケットボールのマイナーさを実感していました。プロリーグというプラットフォームがあれば、チーム努力ももっと報われるのにと思っていたので、協会へ移ることを決意したんです。

協会の仕事に就いて1年が経過した頃、経営危機になったチームを救ってほしいという話が来ました。支援者の中にサイバーダインという会社があり、「あなたが社長になれば支援は継続する」と言われて今度はそちらへ行くことに。「つくばロボッツ(当時)」というチームです。

新体制になり資金難はなんとか乗り切ったんですが、チームは弱小でボロボロに負け続けていて。そのうちB.LEAGUEの発足となりこれで売上が伸びるのではと期待していたものの、Jリーグのような厳しいライセンス制度ができてしまいました。基準を満たす規模の施設を確保しなければならない。つくばで体育館建設計画があったのですが流れてしまい、リーグ入りは絶望的に。そのとき、水戸市に5,000人規模の体育館ができるという話を聞き、水戸市長に会いに行きました。事情を話しお願いすると、水戸市に本拠地を移してはどうかと言われたんです。大英断です。チーム名は「サイバーダイン茨城ロボッツ」となりました。リーグ加盟申請の締切まで残り2週間でした。思い返すと、これも大きなターニングポイントでしたね。

水戸市は歴史があり、地域のつながりも強い街です。地域活性化プロジェクトの会合に呼ばれていったとき経営大学院を運営しているグロービスの堀義人さんと知り合い、出資していただけることになりました。おかげで信用力も人脈も増やすことができたんです。堀さんは水戸のご出身で、「1部に行くぞ! 日本一になるぞ!」と旗を振ってくれています。我々の目指すところも日本一。栃木以上のチームをつくりたい。いい選手も入ってくれてますし、あと3年ぐらいで実現できればと思っています。

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サイバーダイン茨城ロボッツ 試合風景
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試合会場にて、スピーチをする山谷氏

 

「空中戦か地上戦か!?」地域によって変わるメディア戦略

栃木では、影も形もないゼロからのスタートでした。プロスポーツ不毛の地といわれていたし、バスケットボールプロ化のこともあまり話題になっていない時期。バスケットボール協会の人からも、かなり否定的な意見を言われたこともあります。でも新しいことを始めるのに、そんなに最初からうまく行くわけない。覚悟はして行きました。水戸に至っては経営再建というマイナスからのスタートです。その状況下で認知度を上げるにはどうしたらいいか。

栃木や茨城は東京のメディアが流れているので、テレビだったらキー局に高いお金を払わなければCMを流してもらえません。マスメディアによる空中戦ができないとなると、地上戦しかない。イベントをやるとか駅などでビラ配りをするとか。ここでもリクルート時代の「数を打て」の実践です。ネットを駆使して情報発信したり、Facebook広告に出稿したり。

これに対して、例えば秋田や島根はすごく盛り上がっています。新聞やテレビなどの地元メディアがあり、地元チームを取り上げてもらうことができますから。政令指定都市のあるところはさらにマーケットが大きいので、メディア戦略は成功すると思いますよ。

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茨城ロボッツ2017-2018 開幕戦ポスター

優秀な人材は、公募で見つける

人材は募集広告を出して公募しました。人を採るとき、縁故や紹介を使ったことはありません。人を採ることは組織づくりの第一歩です。時間と労力をかけていい人材を採用すれば、その後の育成に手間がかからないので教育コストは減ります。栃木ブレックスは、最初に採用した人たちが今経営幹部となっているので、正解だったと思っています。

東京から地方へ転職すると、年収が下がる場合も多いです。欲しい人材は、「給与が少し下がったとしても、会社が黒字化すればボーナスや将来の昇給も可能性がある。うちのチームはこれから1部に上がって日本一を目指すチーム。一緒に頑張ってほしい」と口説きます。我々のビジョンとやりがいに共感してほしい。茨城は東京から1時間圏内だし、その近さもアピールしたいですね。

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「地方活性化の成果が手に取るようにわかる」スポーツマネージメントの魅力

スポーツマネジメントの世界には、本当の意味で経営のできる人が少ないんです。そして、スポーツ経験がないとダメということもありません。私自身、バスケットボールはプレーしたことがありませんが経営をしていますから。日本のスポーツ界では優秀な選手が監督や社長になるといったイメージがありますが、むしろそのスポーツをあまり知らない方がうまくいくケースは多いです。

スポーツマネジメントはソフト産業、コンテンツビジネスですから広告代理店や保険会社など、無形商材を扱っていた人の方が、親和性があるかもしれません。ただし、音楽や映画などのコンテンツビジネスと違うのは、品質が安定していないということ。負けるかもしれないし、スター選手が怪我で出られないかもしれない。悪天候になることもあります。だからこそ筋書きのないドラマとして魅力的に見せるため、不確実性な状況にも立ち向かっていく人がほしいと思っています。スポーツによる地方活性化は、手に取るように成果がわかるもの。勝って喜ぶ姿や、この街にいてよかったと泣く人の姿を目の当たりにできるんです。

よく、土地柄について言う人がいます。例えば、保守的で新しいものを叩く県民性だとか。でもそういう人は東京にも一定数いますよね。いろんな人がいるから、先入観を持って身構えるより、東京と同じフットワークを持ってやってみること。その反応を見て、ああやっぱりそうなのかと思えばいいんです。地方だからこう、ということはありません。人と会うことが信頼関係を築く上で、最も重要なのです。

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茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメント 代表取締役社長

山谷 拓志さん

1970年東京都生まれ。慶應義塾高校からアメリカンフットボールを始め慶應義塾大学4年次には学生日本代表にも選出される。卒業後リクルート入社。リクルートシーガルズ(当時)にて2度のライスボウル優勝を経験。2004年(株)リンクアンドモチベーションに転職しスポーツ部門を立ち上げる。2007年から(株)ドリームチームエンターテインメント栃木(現・(株)栃木ブレックス)の代表取締役社長就任。日本バスケットボール協会を経て、2014年よりつくばロボッツ(現・サイバーダイン茨城ロボッツ)を運営する(株)茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメント代表取締役社長。

鳥羽山 康一郎

鳥羽山 康一郎

ライター/コピーライター/プランナー

文字を通じてのコミュニケーションを真ん中に置きながら、映像、画像などにも手を出しつつ活動。数多くのインタビューを通じ、その人の数だけの生き方に感動し感化される。自身もオフィスを持たない生き方を模索している。

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