地域で見出した担い手、若き職人と歩むまちづくり

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地域で見出した担い手、若き職人と歩むまちづくり
2018/07/06 (金) - 07:00
兼行 太一朗

山口県山口市秋穂二島(あいおふたじま)で和菓子の製造・販売を手がける「菓秋やませ」の渡壁(わたかべ)沙織さん。和菓子職人として東京で働き、Uターン後、地元商工会からの要請を受け、地域の名物饅頭の製造を引き継ぎました。地域活性化と彼女が叶えた夢。将来へ向けて、双方の新たな可能性をも引き出した、その出合いを紐解きます。

夢一途に、憧れの和菓子職人へ

物心ついたときには、すでに菓子職人になりたい思いが芽生えていたという渡壁沙織さん。母親にならって、小さな頃からお菓子づくりに熱中していたそうです。

特に、兄弟の端午の節句で味わった柏餅や自身の桃の節句での雛あられなど、日本古来の風習や季節を感じられる和菓子がお気に入り。早くから和菓子職人を志し、中学生の時点で、すでに高校卒業後の進路として日本菓子専門学校(東京都世田谷区)を志望したのだとか。

2012(平成24)年、同専門学校へ進学。また、地方に生まれ育った若者にとって、大都市での暮らしに憧れを抱くのは当たり前のことであり、彼女もまた、同専門学校の所在する、東京での一人暮らしにも心をときめかせます。

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日本菓子専門学校は中学時代にインターネットで探し出し、そこから夢がぶれることはなかったという

カリキュラムの中においては、もちろん和菓子を専攻。ちなみに、彼女の描く将来としては、あくまでも職人として働くことであり、「起業」「自身の店をもつ」という思いは、当時全くなかったといいます。

「憧れていた世界の入口についにたどり着いたという思い、そして、都会暮らしは何もかも新鮮で、本当に充実した日々でした」と渡壁さんは専門学校で学んだ日々を振り返ります。

2014(平成26)年、卒業にあたっては念願叶い和菓子職人として就職が決まります。それも、幕末から歴史を残すという、故郷の山口市においては名店として知られた老舗和菓子店でした。

地元企業への就職は、家族の思いを汲んでのものでしたが、勤務は多忙を極めていた同社の東京店へ。思いもかけず都会暮らしは継続されることとなり、晴れて職人としてのスタートが切られます。

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高齢化に苦しむ地域。長年愛された和菓子も消滅の危機に

渡壁さんが生まれ育ったのは、山口県山口市の南部に位置する秋穂二島という地域。瀬戸内海に面して隣り合う秋穂(あいお)地域とともに、車海老の養殖業が盛んな地として知られています。

しかしながら、地域全体で見れば、主たる産業は、農業、漁業であり、高齢化、担い手不足という問題は深刻化する一方。地域の課題は商業にも波及しており、近隣地域のスーパーや大規模商業施設の影響も大きく、地域内の小売店も減少の一途をたどっていました。

地域に根付いた老舗であったとしても、事業者の高齢化によって、営業を断念するというケースも多く、同地域で和菓子の製造・販売を営んでいた「田村秋月堂」もその一つでした。

歴史は100年以上という同店製造の「太鼓饅頭」は、秋穂一帯の人にとって暮らしに欠かせない存在で、日々のお茶請け、訪問時の手土産、慶弔菓子など、あらゆるシーンで重宝。また、「道の駅あいお」での人気商品でもあり、周辺のイベント時には欠かさず出品されるなど、地域の名物として定着していました。

高齢の店主が一人で、なんとか事業を継続していたものの、ついに、地元の山口県央商工会秋穂支部に、「近く、1、2年の内に店をたたみたい」と申し出があったそう。その話はすぐに地域に広まり、多くの人が肩を落としたといいます。

図らずも帰郷した若者は和菓子職人。継承に白羽の矢

2016年10月、渡壁さんが和菓子職人となり2年半が経過。順調にキャリアを積み重ねていましたが、勤務先の倒産という形で転機は突如として訪れます。

引き続いて、職人として東京で働く道を模索しますが、あらためて家族の希望を優先し山口へのUターンを決意。ひとまず地元に腰を据えて、和菓子職人として働ける新たな勤務先を探すこととなりました。

渡壁さんの実家は、秋穂名物・車海老の水産加工業者「山世水産」でもあります。夢の実現のために上京し、和菓子職人として働く彼女の存在は、商工会の一員でもあった父・寛治さんを通じて、地域の多くの人の耳に入っていたのだとか。

田村秋月堂の閉店意向の申し出は、奇しくも彼女の帰郷から程なくしての出来事。名物饅頭の消滅危機に頭を抱えていた商工会にとって、彼女の存在はこれ以上ない朗報となりました。

渡壁さんの元に、製造の継承について商工会から打診があったのは2017(平成29)年2月のこと。彼女にとっても秋月堂の味は小さな頃から慣れ親しんだものであり、それがなくなると思うと寂しさが募ったといいます。

「正直、自信はありませんでしたが、商工会の方からお話をいただいた際に、様々な助成制度があることを初めて知りました。事業を引き継ぐという点においては、経営者でもある父を中心とする家族のバックアップもあり、頑張ってみようと継承を決意しました」

独立の意志がなかった渡壁さんの背中を押したのは、地域、そして家族――。彼女の職人としてのリスタートは、単なる事業継承ではなく、地域とも大きくリンクしその活性化を促進していくこととなります。

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多くの製造機材を田村秋月堂より譲り受けた。写真は焼き目をつけるために使用する焼き印。左は「秋穂八十八カ所巡り」の際のお接待用饅頭の製造時に使用する
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焼き印は写真の2種類の他に、慶弔用などがある。焼き付けももちろん手作業

 

急遽の事態、名物の継承に地域全体が結束

その後、渡壁さんは、商工会と話し合い、2018(平成30)年5月より、田村秋月堂で店主を手伝いながら製法を身につけ、9月1日をもって完全に引き継ぐという行程が決定します。

ところが、彼女はもちろん、商工会など、多くの人が安堵していた矢先の2017年9月、秋月堂の店主が病に倒れるという一報――。思わぬ形で名物饅頭の製造はストップし、再開の目途も立たない状態が続きます。

地域に深く愛されていた和菓子ゆえに、早期復活を期待する声は大きく、商工会との話し合いで、引き継ぎ行程の大幅な前倒しが決定。2017年末の地域の恒例イベントでお披露目して、2018年の年始から販売をという行程に見直されたのです。

「スタートは2018年の春ということで、その時点ではまだぼんやりとしたことしか描いていませんでした。それに、製造する工房がなければどうにもできず…、山世水産の敷地内に建設を検討していたのですが、こちらも急遽着工に踏み切りました」

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山世水産の敷地内に設けられた製造工房(手前の黄色の建物)。完成を急ぐために簡易的な建物となった

12月初め、突貫で工房が完成し、渡壁さんはすぐに太鼓饅頭の再現に取りかかります。本来なら秋月堂店主から教わるはずでしたが、それすら叶わない状況。しかも、長年製造されてきた商品ゆえにレシピが存在せず、手探りでのスタートだったといいます。

商工会の呼びかけにより、まちづくり活動に携わっていた人を中心に、饅頭の味を知る多くの人が試食、アドバイスという形で再現の輪に参加。中でも、山口市南部を拠点に、食を通じた地域活性化に取り組んでいる「地域おこし協力隊」隊員・西倉慎顕さんの存在は、彼女にとって大きな助けとなりました。

「材料は分かっていたのですが、配分は店主の田村さんしか知らず…。秋月堂にも出入りしていた西倉さんには、本当に付きっきりで助けていただきました。プレッシャーは相当でしたが、頑張ることができたのは、西倉さんや地域の皆さんのおかげです」

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饅頭を焼き上げる際の型枠(金色、真鍮製)も譲り受けた。引き継ぎ後、注文は順調に増え、製造が追い付かなくなりステンレス製(シルバー)のものを渡壁さんが追加発注した

かつて秋穂地域にはさらに1軒、菓子を製造していた渡辺製菓という小さな事業者が、2013(平成25)年6月まで存在していたといいます。同社製造の「せんべい」は山口県内に数多くのファンを持つ評判の逸品だったそう。

経営者の高齢化により事業をたたむ際、何もできないまま名物を途絶えさせてしまったという、地域の人々の心残り――。同じ危機にあった名物饅頭においてはまさに起死回生、継承を決断してくれた、地元の若き和菓子職人を支えようという思いの強さは容易に想像できます。

地域が支えた和菓子職人は、活性化の宝刀に

渡壁さんは屋号を「菓秋やませ」とし、製造を受け継いだ太鼓饅頭は、「秋穂饅頭」とあらためて命名。同饅頭は「田村饅頭」「秋穂饅頭」などを筆頭に多彩な通称で呼ばれていたそうで、いかに地域に広く深く根付いていたかがうかがえます。

2017年12月28日、「道の駅あいお」にて開催されたイベントでお披露目され、2018年1月6日より正式に販売が始まりました。当初の予定よりも、なんと8カ月もの前倒し、渡壁さんの苦労は尋常ならざるものがあったはずです。

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しっとり柔らか生地の中には白あんが入っている。焼き色や固さなど、渡壁さんは生地の再現に苦労したそう

「より美味しく、そして味が地域に認めてもらえるならば、完全再現でなくてもよいと考えています。秋月堂さんも100年余の歴史の中でずっと同じ味だったわけではないはず。地域に浸透した同店の文化を継ぐということがわたしの役目。しっかりと継承し、成長させていきたいです」

地元の団体など、会合時には頻繁に注文が寄せられ、SNS上でも「秋穂饅頭」が度々話題になるなど、滑り出しは上々。渡壁さんは、地に足が付くまで、当面は同商品のみの製造を続け、その後に「菓秋やませ」オリジナルの商品開発に取り組みたいと、職人としてのさらなる髙見を目指すことも、決して忘れてはいません。

「いまは、いつかお店を出したいという目標をもっています。地域の素材を扱った商品を生み出し、活性化の一翼を担えるようになりたいと考えています」と彼女。

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一つひとつ丁寧に、手作業で焼いていく「こだわり」も田村秋月堂から受け継いだ

そして、和菓子職人という、レアスキルを持った将来性豊かな若き担い手の登場は、地域づくりの現場をさらに活気づかせました。商工会で取り組む「特産品会議」がまさにその現場。渡壁さんを巻き込んでの、次なる一手が既に動き始めているとか。

秋穂という場所で新たに幕を開けた和菓子職人と地域による地方創生の可能性とは――。「車海老」に並ぶ地域の顔として、「和菓子」がクローズアップされる将来のその日、間違いなく、その中心に職人としてさらなる成長を遂げた彼女が輝いているはずです。

自身が学んできたスキルが、地域を助けその魅力となるケース。成功へのチャンスは、誰もが十分に持ち合わせているといえるのではないでしょうか。

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秋穂饅頭が常時販売されている「道の駅あいお」。このほか、同地域の「海眺の宿あいお荘」で販売。工房で直接の注文も受け付けている
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渡壁 沙織(わたかべ さおり)さん

1993年生まれ。山口県山口市秋穂二島出身。山口県立防府高校を経て、日本菓子専門学校へ進学し和菓子を専攻。2014年4月、老舗菓子店に就職。渋谷ヒカリエ店に勤務し製造職人としてのキャリアをスタートさせるも、2016年10月、同店の廃業により故郷へUターン。山口県央商工会秋穂支部より地元の名物饅頭の継承を託され、父の経営する山世水産の和菓子製造部門として「菓秋やませ」を開業。2018年1月より「秋穂饅頭」の販売・製造を手がける。
菓秋やませ/山口県山口市秋穂二島437番地 083-984-2304(平日9:00~17:00)

兼行太一朗

兼行 太一朗

ライター/カメラマン

地元山口のフリーペーパー発行元に14年間勤務した後、フリーライター&カメラマンとして独立。観光・旅行案内サイト「ぐるたび」、KADOKAWA「ラーメンウォーカー広島・中国版」、ザ・メディアジョン「山口くちこみグルメ」、TAC出版「大人旅プレミアム 萩・津和野版」など、旅行、グルメ、歴史分野の書籍やウェブサイトを中心に取材・執筆を行っている。山口県内各地で撮影した風景写真は観光案内冊子などにも提供。また、拠点とする山口市では、歴史資源を生かした地域活性化に取り組むNPO法人「大路小路まち・ひとづくりネットワーク」にも所属し、守護大名大内氏や幕末に関する史跡、ゆかりの場所や人物についての取材を担う。

編集/株式会社くらしさ

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