~あなたらしく生きる・はたらく~「ナリワイ」起業

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~あなたらしく生きる・はたらく~「ナリワイ」起業
2017/10/07 (土) - 08:00
荒木 三香

「身の周りの困ったこと×自分の好きなこと」で地域課題を解決しながら、月3万円からの小さな「ナリワイ」にするプロジェクトを展開中のUターン社会起業家、井東敬子さん。全国でも珍しい“互いの起業を助け合う仕組み”を作ったきっかけと、起業・経営・複業・UIターン者を応援する取組みとは、どういうものなのでしょうか。

常識を変える取り組みと、地方ならではの逆転の発想

「仕事は一つじゃない、複数あっていい」「ないものはつくればいい」そして、地域を元気にするには「1人のスーパースターより、普通の人100人の小さな一歩」「田舎では一人勝ちは嫌われる。センターのいないAKB48のように集団化がいい」そんな勢いある言葉と行動的な性格で、いつも周囲には沢山の仲間がいて底抜けに明るい。そんなパワフルで活発な印象しかない敬子さんですが、今の仕事や活動に至るまでには、悩みと葛藤の日々もありました。

バブル時代の象徴的な“ステータス”への疑問

山形を離れたい一心で上京した敬子さんは、大手旅行会社JTBへ入社します。バブル真っただ中の頃、何千万円ものお金が口座間を行き交う団体ツアーを販売する営業でした。売れば売るほど褒められる。当時は自己肯定感が低かったという敬子さんは、認められたくて必死に売りまくり、表彰もされました。毎朝6時台の小田急線で新聞2紙を読んで通勤し、夜11時台に帰って食事をする仕事漬けの日々。ちょうど男女雇用機会均等法が施行され、女性の支店長も出てきた時代。都内に夜景の見える高級マンションを購入した女性支店長がある時、敬子さんに声を掛けます。「夜景が見えるんだけど、今度ワインでも飲みに来ない?」その言葉に、私のゴールはそこなの?と疑問を感じ9年のキャリアを捨て、惜しまれながらも、あっけなく会社を辞めます。この時、敬子さん29歳。故郷の山形に戻るのですが、やることがない。様々なセミナーに出向くうちに出逢ったNGOやNPOの世界と、のちに大きな影響力を持つ、ホールアース自然学校でのハードな仕事と訓練が、敬子さんの人生を大きく変えていきます。

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バックパッカーで出向いた、カンボジアでの国際協力

世界の現実と、豊富な経験を積んだホールアース時代

現在のNPO法人国際ボランティアセンター山形に所属し、カンボジアなどへ行くと、どんなに頑張っても貧困から抜け出せない現地の人々に遭遇します。更にフィリピンから山形に嫁いだ花嫁さんが、東北の雪の世界にうつになってしまう現実を目の当たりにし、次第に国際協力というよりもっと“生きるすべ”や、自然体験から学ぶことに興味関心が湧きました。その後入ったホールアース自然学校では連日、青木ヶ原樹海の洞窟探険ガイド、愛知万博の運営スタッフとして54万人の来場者に対応しながら、野外スキルと、コミュニケーションスキル、ファシリテーションスキルを徹底的に叩き込まれます。そして、万博終了後、そこで出逢った仲間と東京で、リードクライム株式会社という環境コミュニケーションの会社を立上げることになります。

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来る日も来る日も続いた、ホールアース自然学校での富士山麓青木ヶ原樹海の洞窟探険ガイド

 2度目の東京、そして再び 家族で山形へUIターン

会社を立ち上げた同じ年、結婚、出産。でも、ここはあまりにも自然と触れ合う場所がない、「東京での生活は、子育てには向かない」と。

ご主人が出張で行ったきりの縁という山形県鶴岡市へ移住。この時2人は40代半ば、2度目のUターンとなる敬子さんと、初めて山形に住むご主人。そして引越し直前、あの東日本大震災が起こります。ちょうど多くの人が、自分の生き方や仕事、お金、家族…様々なことを本気で考え直したタイミングでもありました。

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自然豊かな 故郷・山形での生活と子育て環境

2度目に戻った山形は、内陸側で山形市の隣にある地元、上山市ではなく、庄内と呼ばれる風の強い海側にある鶴岡市。最初の冬は大雪で、心が折れそうになったそうです。
山形出身とはいえ住んだことのないエリア、ご主人も会社を辞めての移住。生活の不安はなかったのでしょうか?「まぁ、何とかなると思って」「むしろ、1年でも若いうちに」。

今までの豊富な経験が、夫妻のお金や将来への不安を吹き飛ばしていました。でも、この鶴岡市での生活や人との出逢いが、今の敬子さんの活動の“転機と拠点”になるのです。

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雪国ならではのウィンタースポーツを満喫

“食べる職”仕事づくりのアドバイザーとして

鶴岡市は、日本で唯一の「ユネスコ食文化創造都市」。ちょうど敬子さん家族が移住した頃、市はこの指定を取る為に総力をあげていました。「鶴岡に面白い夫妻がやってきた!」と、自ら会いに来た市職員との出逢いをきっかけに、今まで旅行会社や自然学校で培ってきた豊富なノウハウを活かし、「鶴岡食文化産業創造センター」でのアドバイザーになります。

どうすれば、3年間で鶴岡に雇用を増やせるか?自分のミッションを模索する中、ふと本棚にあった『月3万円ビジネス』というソーシャルビジネスの本が目にとまります。
「これは行ける!」そう感じた敬子さんは、その著者に会いに行き、鶴岡に招くことになります。そして2013年、月3万円ビジネスを実行するための講座などに、延べ180人が集まります。しかし年度末、動いた人は誰もいませんでした。

知識を伝えても人は動かない、本当に必要なものは?

どうして誰も動かないのか?敬子さんは、よく参加していた受講者一人一人に、その理由を聞いて回りました。「お金を貰って文句を言われるのは嫌だ」「一人ではできない」と言われます。ここから敬子さんの本当の模索が始まります。

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好きなこと、得意なこと、地域に役立つことで、仲間と一緒に一歩 踏み出してみる楽しさ

福岡のある団体で実施していた「部活カフェ」という、気軽なノリで部活のように経営の練習をする中で起業に発展させるアイディアを得、2013年講座に来ていた人たちに、「部活のノリで起業しませんか!」と声を掛けます。ここで10人が手を挙げ、10の部活がスタートします。それぞれが小さなイベントを開催し、失敗してはそこから学び、これを1年間繰り返し、最終的に8人が自分の好きなことと地域の困りごとを掛け合わせた内容で起業しました。

「ナリワイ」起業の一例としては、摘果した果実や剪定した枝、野の花を利用したブーケ作りのように、廃棄されるはずの自然物を使ってコストを掛けず、農家の方にも喜ばれることで独立した仕事にするなど、ありそうで無かったアイディアばかりです。

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トヨタ財団からの助成金と市の委託事業で、活動も認知度もアップ

このまま終わらせるのはもったいないと、2014年秋、トヨタ財団の助成金を申請。高倍率の中、見事決定。同時に、参加者に移住者が多かったことから、鶴岡市から移住事業の一環として、委託事業のオファーがありました。

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2016年度 鶴岡ナリワイ実践道場説明会

こうして市や各方面からの支えもあり、小さな起業「ナリワイ」は徐々に軌道に乗り、大きなビジネスに育てる人も出てきます。トヨタ財団の助成は2016年で終了。2017年からは自らの力で運営する、第2の「鶴岡ナリワイプロジェクト」として新規生を募集。また、講座卒業生が自主的に「ナリワイ・アライアンス(同盟)」として自分たちで年会費を出し合い、そこから事務経費や自分たちの人件費を出すことで、タダ働きはしない仕組みで運営しています。

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定期的に開催される、ナリワイ起業講座の説明会
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「鶴岡ナリワイプロジェクト」のカタログも作成。起業したメンバーのプロフィール紹介

2017年夏時点でのイベント参加者は900名、起業講座修了生は36名。全国各地からの視察者も増えています。南三陸をはじめ、敬子さんが手伝い実行した地域や、既に同様の月3万円ビジネスを進めている全国の仲間と、2017年5月にギャザリングを開催。2018年、埼玉で開催予定のギャザリングから、全国ネットワークを展開する計画だそうです。

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2017年5月に開催した3市(3ビズ)でのギャザリング
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埼玉・南三陸で活動する別団体の代表らと3ビズ全国ネットワークのミーティング

 「勇気と自信は、どんなにググっても得られない」

多くの起業講座は“知識”を教えるモノが多いですが、ここは“心”マインドアップで、小さな成功体験を積み重ねる中、自信を積み上げる仕組み。「勇気と自信は、どんなにググっても得られない」と敬子さん。借金をせず、初期投資を低くし、失敗してもすぐ修正できる「小さな起業」にこだわります。そして、一人で悩んで諦めるより、仲間と一緒に「せーの!」で一緒に動いて、仲間と課題を解決すれば、倒れない、諦めない、周囲の風あたりもはねのけられる、といいます。

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帰省する鶴岡出身者を集めて『鶴岡のイメージ変わるかも?』納涼会、忘年会を開催

また、鶴岡在住の人を起業させる活動と同時に、東京などに住む出身者に向けて、お盆や年末年始に「今の鶴岡」を知ってもらう帰省者向けのイベントも開催(鶴岡市委託事業)、UIターン検討者のための情報発信などもしている同プロジェクト。社会課題、地域の課題を解決…と言っても、そんな大きなこと、大それたことではなく「自分が毎日楽しいかどうか。自分自身が幸せになれることなら皆、頑張れるのよ!」という敬子さん。

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第3者レポートをお願いした、元ETIC.で 現在、㈱エンパブリック代表の広石拓司氏との対談

いつか無くなる“お金”よりも大切な、人や地域とのネットワーク

「自分の生き方、そして死ぬときに、どういう死に方をしたいか」を大切にする敬子さん。「田舎に来て、そんな小さなビジネスじゃ生活できない、お金がないって言うけど、いくらあれば安心?お金と家だけあれば移住する?そこに人、コミュニティーがないと生きていけないはず」と。当然、地方には、東京と同じ規模の会社も給料もない、でも地域には、1/3人前の仕事はいくらでもあるから、3つ複業すれば1人前。自治会の困りごとも沢山ある、これもタダ働きでなく対価を出せば仕事になる。そう語る敬子さんの目は、更にずっと先を見据えています。

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小さな一人が集まれば、大きな“仲間”になる

「自分が育ててもらった“力”を、次の世代にバトンタッチしたい。自分が持ち去るのはイヤ!」と、後継者を育てる仕事も同時進行しています。ここに至るまでに、全国各地の素晴らしい諸先輩が見守る中、さまざまな経験をさせてもらったと言います。

でも、敬子さんのような経験とスキルがないと、同じことを教わってもできないのでは?

「いやいや、そんなことはない。同じようにやれば誰でもできるし、あとは勝手に動くよ!」 「起業家を育てるのが目的じゃなく、最初から言っているのが“自ら一歩、動くためのしくみづくり”として“起業”を使っているだけ。」そう語る敬子さん。

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庄内海岸で見つけた貝殻たち。埋もれた人材を見つけて拾って磨き上げる作業のよう

埋もれている宝の人材は沢山いるはず。それをどう見つけ出し育てるか、人手の足りない地方に引き込むか、その人の持てる力を発揮し、どう地域に還元できるか。そして何より、本人がイキイキと輝けるか…それが、この「鶴岡ナリワイプロジェクト」が、一番大切にしていることなのではないでしょうか。

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井東 敬子(いとう けいこ)さん

山形県上山市出身、JTB(東京)へ入社。9年間旅行業の企画、営業、国内外の添乗を行う。NPO法人国際ボランティアセンター山形で国際協力などの社会貢献事業に携わるのち、ホールアース自然学校で6年間、自然ガイド、愛知万博「森の自然学校・里の自然学校」スタッフとして従事。2016年 東京でリードクライム株式会社設立後、家族で鶴岡市への移住。鶴岡食文化産業創造センターアドバイザーを経験し、「鶴岡ナリワイプロジェクト」設立。2017年より自主運営。

荒木三香

荒木 三香

Couleuve -クルーヴ- 代表
NPOにじ色キャンパス
代表

東証一部上場オフィス構築専門商社にて、オフィスデザイナーとして「働く空間」を提案。東京・札幌・千葉・神奈川で複数の職種・雇用形態を経験したのち、夫の転職で山形へ。色彩心理学を元にしたセラピーや、心理カウンセリングを行う為、起業し「Couleuve-クルーヴ-」設立。東日本大震災復興支援NPO「にじ色キャンパス」を設立し、行政や中間支援団体等と協働した支援活動にも取り組む。現在、日本ストレスチェック協会のファシリテーターとして、ストレスマネジメント、メンタルヘルス講座の開催等、複数の事業を展開中。

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