次の災害が起こったとき、被災者がゼロになるように。 「防災ガール」発起人

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次の災害が起こったとき、被災者がゼロになるように。 「防災ガール」発起人
2017/12/18 (月) - 08:00
島崎 加奈子

四季折々、豊かな自然に恵まれた日本。一方、地震、火山、台風など…日本で暮らすことは、コントロールできない自然災害と共存することでもあります。東日本大震災後に被災地支援に関わるようになった田中美咲さんは、「一般社団法人防災ガール」を立ち上げました。日本、そして世界へ、防災活動を広げていくに至った歩みを追います。

防災があたりまえの世の中をつくる「防災ガール」

2011年3月11日14時46分18秒、東日本大震災が発生。テレビではおぞましい津波が街や人をのみこんでいく、悲惨な映像が流れ続けていました。今後日本はどうなるのか? いまでも当時の様子を思い出すと、胸が締め付けられるという方も少なくないのでは。

その震災をキッカケに発足した団体が「防災ガール」。防災をもっと楽しくおしゃれに、わかりやすいもの変えていくことを目的に立ち上がりました。

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現在インターネットで「防災」と調べると、内閣府、赤十字の情報に並んで、防災ガールの情報が検索上位に上がってくるほど、彼女たちの情報は世の中に求められるものになっています。防災ガールのウェブサイトでは、 “あたらしい防災を提案するWebメディア”として、求められる防災の情報を集約・翻訳し、わかりやすいイラストと文章で説明。定期的に実施しているリアルイベントは、Instagramでシェアしたくなるようなかわいさがあります。

そんな活動を展開する、若干29歳の防災ガール代表の田中さんに、震災当時の自分を振り返っていただきました。

会社を辞めて復興支援の仕事に

地震発生当時、田中さんは卒業式を目前に控えた大学4年生。京都の大学に通っていた彼女は、卒業後は東京のインターネットの広告会社に就職することになっていました。

「防災も復興支援も社会貢献も以前から興味はありましたが、特に何もしていませんでした。わたしがそこに行かなくてもいいのかなと。ですが東日本大震災は、新幹線で1、2時間で行けるような場所で、同じ日本人なのに食べ物も食べられない、家にも入れない状況が起きていました。いままでに経験したことのない事に、これは何か行動を起こさないといけないと思いました」

同世代の仲間とスカイプで「わたしたちは何をすべきなのだろうか?」と何時間も会話を繰り返したという田中さん。専門知識のない大学生は寄付くらいしかすることがないのか? 地震の影響がなかった仲間のなかには何もしなくていいのでは、という意見もあったといいます。しかし、田中さんは社会人になった後も、定期的に東北にボランティアにいくことが多かったそうです。

社会人生活が1年半も過ぎた頃、学生時代にお世話になった恩師が「公益社団法人助けあいジャパン」を立ち上げました。そして、その団体が福島県のカウンターパートナーになったことをきっかけに、田中さんにも声がかかります。周囲の環境や人に敏感で、自分がすべきことが見えると行動せずにはいられない田中さんは、迷う間もなく勤めていた会社を退社。福島県に移住し福島県での事業責任者として働くことになりました。

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助けあいジャパンでは福島県の事業責任者を担当、県外避難者への情報発信を行っていた

復興よりも防災で、多くの人の命を救いたい

福島県は、福島第一原発の問題があり沿岸部9市町村が住めなくなる事態に。田中さんは、主に県外避難者へ、「義援金がいつどこでもらえるのか」「元々自分の生活していたエリアがどうなっているか」など、小さくても正しい情報を届けるために、全世帯で見ることができる電子回覧板を立ち上げます。そして、被災された方20名を雇用し、電子回覧板の啓発、運用をしていきました。

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電子回覧板はタブレット端末で表示する仕組み

「初めはできるだけ早く復興したほうが、地元の人にためになると思い、広告会社時代と同じスピード感で仕事をしました。でも現地の人は、まずは話を聞いてほしい、そばに居てほしいという気持ちが強い方が多く、すれ違いが起きてしまったんです…」

どんどん復興に向けて作業を進めていく人と、前を向いていても気持ちがついてこない被災者の間には、進む方向は一緒でも埋めることのできないギャップが生じていました。それでも毎日現地の人々の元へ足を運び会話し、情報を収集・配信。また、電子回覧板となるタブレット端末の使い方講習会を開催することもしばしば。広い福島県を飛び回って、復興のために活動する日々を送ったといいます。

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2012年、福島の復興支援の際に撮影した写真

しかし、1年半ほど活動をしていくなかで、田中さんの心にある変化が起こったと話します。

「阪神淡路大震災も、東日本大震災も、他の災害も含めて何度も繰り返されているのに、被害の大きさは変わっていない。現地の復興が必要だという気持ちは変わらないものの、冷静になったときに、このままだとまた同じことを繰り返すのではないかと思いました」

まだまだ復興支援が必要なことを十分理解しながらも、2013年の年末、田中さんは東京に戻ってくることを決断。被災地の現状や課題、そしてこれからの日本にやってくるであろう災害を考えたときに、同じ悲劇を繰り返さないためにも、一人でも死者・被害者を出さないためにも、“防災対策”に注力しようと心に誓いました。

「防災ってダサい。面倒くさい」から生まれた新しい防災の考え方

「こんなに防災が広がっていないのはなぜ?と考えたときに、自分は防災を楽しいと思ったことがないなと。そこで友人にもいろいろ質問したのですが、防災ってダサい、面倒くさいという意見が多かったので、これは防災というもの自体のイメージを変えていかないと、防災が広まらないと考えるようになりました」

田中さんは、福島で所属していた「助けあいジャパン」の東京支部で働きながら、2013年3月にFacebookで「防災ガール」の立ち上げを宣言。当初はサークル活動のようなもので、カフェを貸し切って防災に関するワークショップやイベントを開催していましたが、SNSでの発信とリアルイベントを繰り返しているうちに、最初3名で始めた防災ガールも活動開始から2カ月経った頃には10名に。取材依頼が来たり、防災グッズの商品開発を始めたりと、その環は少しずつ広がっていったそう。

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私たちが辞めたら日本の防災は元に戻る…大波乱の法人化

そのうちに大手企業からの商品開発の依頼が来るようになり、法人格がないと仕事ができないということから、田中さんは防災ガールの一般社団法人化を決意。

しかし、法人格を取得するためには秘密保持契約や定款を作ることが求められ、いままでのように参加したい人は誰でもメンバーに加入できるというわけにはいかなくなります。防災で社会を変えたい、拡大していきたいという人が残り、サークル感覚の人は去っていったといいます。

「法人化は大波乱でした。防災でお金を稼ぐというのは、後ろめたい気持ちもありました。でも自分たちがやらないと、日本の防災はまた元の状態に戻ってしまうのではないかという気持ちが強かったです。わたしたちが関われる大きなチャンスが目の前にあって、それによって防災を当り前の世の中にできるかもしれない。わたしたちは成長していくしかないと思いましたね」

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「防災ガール」といえど、セクシャリティにこだわりがあるわけでなく、老若男女さまざまなメンバーが活動

2015年3月、防災ガールは一般社団法人として法人化。防災を当たり前にすることは必要な取り組みとはいえ、ビジネスにすることは、世の中的にも白い目で見られたこともあったでしょう。でもそれ以上に田中さんには、防災で人を救いたいという使命感がありました。

防災の旗振り役。「防災ガール」のこれから

防災のイメージを変えようと、ウェブサイトやさまざまなイベントを運営していった防災ガール。その甲斐あってか、この数年で人気漫画家が防災に関する漫画を手掛けるようになったり、おしゃれなデザインを起用した防災ブック「東京防災」ができたり、たくさんの防災の団体もできました。ですが、田中さんはこの動きをただのブームで終わらせないために、2017年3月11日より、防災ガールの新しい指針を発表しました。おしゃれでわかりやすく防災を広めていくだけではなく、防災業界全体を牽引していく存在になろうと決意を決めたのです。

「新しい防災といわれるおしゃれな防災グッズは、表面的な変更でしかなくて、本気で防災をさせるところまで話がいかないんですよね。このままでは防災する人も増えないし、次の災害が来たらまた人が死んでしまう…。なので、私たちはどうにか防災を一気に広められるように、防災業界の旗振り役になれるような活動を始めています」

1つ目は、津波防災のプロジェクト「#beORANGE(ハッシュビーオレンジ)」。津波が来たときに、海の上にいる人への危険を伝える手段として、オレンジ色の旗を掲げます。この旗は現在、日本73市町村400カ所以上のビーチに設置されており、世界からも注目が集まっているそう。

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2つ目は、2017年から始まったプロジェクトで「生き抜く知恵の実験室 WEEL」というもの。

「自然災害は発生確率が少ないので私たちにとっては身近ではありません。でも『防災って、“災いを防ぐ”と書いて防災だよね』とメンバーと話すなかで、わたしたちにとっての災いは自然災害だけじゃないってなりました。たとえばいじめや、世の中的に30代になったら結婚しろといわれる世間体、LGBTなどセクシャルマイノリティーに対する差別も、受け手にとっては“災い”ではないかと。個人を不幸にする災いすべてを災害と捉えると、災害を防ぐためには、個々人の“生きていく力”を身につけることが大切だと考えるようになりました」

現在「生き抜く知恵の実験室 WEEL」では、滋賀県長浜市と共同で、こうした自然災害以外の“防災”の研究にあたっており、生きていく力を身につけることが、地震を始めとする自然災害への防災意識も高めることになると、田中さんは話します。

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現在Facebookライブなどを活用して、いろいろな情報を発信中。実験の結果報告などもこれから発信していく予定

ゴールが見えなくても続けていく、新しい防災のカタチ

災害という概念といま一度向き合い、新しい観点から防災と向き合うことにした防災ガール。被災者が一人もでない防災対策をと活動する一方、成果が見えるのは災害が降り掛かったときだという“歯がゆさ”があります。どれだけやっても成果が見えないのが防災。ゴールが見えずに、ときには心が折れることも。

そんな彼女を支えてくれるのは、一緒に活動するメンバーや関係者の方たちです。「田中さんのためなら」「田中さんと何かしたい」と声を上げてくれる仲間の声や励ましが田中さんを突き動かしています。

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現在活動するメンバーは130名以上

いままでになかった新しい防災のカタチ。それは日本という国に生まれたわたしたちだからこそ考えられる、生き抜く術なのかもしれません。いつゴールがやってくるのかもわからない課題に向かって、歩を止めない田中さんと一緒に、いま一度防災を見直してみてはいかがでしょうか?

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一般社団法人 防災ガール 代表理事

田中 美咲(たなか みさき)さん

1988年、奈良県生まれ。東日本大震災を機にサイバーエージェントを辞め、福島に移住し、福島県庁・沿岸部8市町村と連携し復興支援事業を責任担当。その後2013年から全国の強みの異なる20〜30代約130名の仲間とともに、防災をこれからのフェーズへ変える「防災ガール」設立、2015年法人化。津波防災の新しい合図“オレンジフラッグ”を全国に広める「#beORANGE (ハッシュビーオレンジ)」をはじめ、革新的なアイデアで企業・行政・学校と連携し共感を集め、コレクティブインパクトで社会課題解決を目指す。東京防災女性版検討委員、長浜市特別職員。

島崎加奈子

島崎 加奈子

和文化プロデューサー・フリーライター。着物販売、広告代理店を経て、“きものでかける“という着物のおでかけイベント団体を主宰する傍ら、次の世代に”日本の良いものを伝える営業マン“として、専門学校講師、スタイリスト、和文化と中心としたイベントやメディアの企画・運営に携わる。

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