50歳を過ぎて迎えた人生の転機。コーチング創成期から活躍する松下信武さんの生き方

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50歳を過ぎて迎えた人生の転機。コーチング創成期から活躍する松下信武さんの生き方
2017/09/25 (月) - 08:00
寺本 亜紀

エグゼクティブ・コーチの創成期から活躍されている松下信武さん。メンタルコーチとしては冬季五輪に3回参加し、メダル獲得にも貢献。松下さんは、会社員、代理店経営、学習塾経営を経て、52歳のときに上京。それが人生の大きな転機となります。そんな松下さんのキャリア、またこれからの目標についてお話しを伺いました。

プロフィール画像

ゾム 代表

松下 信武(まつした のぶたけ)さん

1944年大阪生まれ。1970年京都大学経済学部卒業。 三洋化成工業入社、学習塾経営、ベルシステム24執行役員・総合研究所長を経て、現在ゾム 代表。 2016年まで約14年間、日本電産サンキョー スケート部のメンタルコーチを担当し、冬季五輪に3回参加。2010年バンクーバー五輪での長島圭一郎選手銀メダル、加藤条治選手銅メダル獲得に貢献する。 日本のエグゼクティブ・コーチングの創生期から活躍。2017年現在、月平均10名以上のエグゼクティブ・コーチングを行っている。 『エグゼクティブ・コーチング』『EQコーチングのスキル』『すごい上司 なぜ人は言われたこともできないのか 部下が自ら動き出す心理学』など著書・監修多数。

学習塾をたたみ52歳で上京。それが人生の大きな転機に

私は現在、エグゼクティブ・コーチやメンタルコーチとして活動しています。コーチングのゴールは「勝つこと」です。エグゼクティブ・コーチは経営トップに対して行うので、「勝つこと」は即ち「利益を上げること」を意味します。日本でエグゼクティブ・コーチが知られていない創成期から試行錯誤を繰り返しながらコーチングスタイルを創り上げてきました。
2017年10月現在72歳ですが、エグゼクティブ・コーチとして仕事を始めたのは実は50歳を過ぎてからなんです。それは予期しない出来事や偶然の出会いによってもたらされた「偶然の賜物」でした。

1963年、大阪府立天王寺高校から慶應義塾大学へ進学したのですが、剣道部の寄宿舎生活で身体を壊してしまい、実家のある大阪へ戻ることに。それで一浪して再度受験し、京都大学経済学部で会計学を学びました。大学卒業後は三洋化成工業株式会社に入社。ここで「人事とは何か」を叩きこまれました。これは今でも役に立っています。
入社して3年経った頃、従業員500名程の会社を経営していた父が病に倒れてしまい、会社が業績不振に陥りました。それで兄とふたりで事業承継をして立て直しをはかることに決めました。3つあった会社のうち2つを兄が、残りの1つ、代理店を私が引き継ぐことに。経営者になると資金繰りから在庫処分まですべて行わなければなりません。それはもう大変でした。
赤字を3年かけてなんとか黒字にしたのですが、今度は親会社である兄の会社が経営不振になり、代理店契約を打ち切られてしまうことに。自宅を売却して、社員に退職金を支払い、私はすべてを失いました。あれは非常に濃厚な経験でしたね。1976年のことです。
当時はまだ終身雇用の時代で転職先を探すのが大変でした。それで公認会計士をしていた大学時代の友人のアドバイスもあり、学習塾の経営を始めたんです。

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私の塾では入塾テストは一切行わなかったので、伸び伸びした子どもが集まってきました。でも1990年代になり、塾に通わせる親御さんたちの目的が「有名校進学」へとシフトしていったんです。私は本人が楽しく勉強できるのが一番だと思っていたので親御さんたちと噛み合わなくなってしまいました。それで、学習塾をたたむことにして上京を決意したんです。
1996年、52歳のときです。これが私の人生において大きな転機となりました。

エグゼクティブ・コーチの道は、恩人との出会いから始まった

上京して半年程経った頃、「自分のように失業して困っている人がいるはず」と思い立ち、転職支援のビジネスを企画書にして、京都大学の先輩、サンスター株式会社取締役の茨木裕さんに持ち込みました。そして、再就職支援の最大手の日本ドレーク・ビーム・モリン株式会社(以下、DBM)の菅野實さんを紹介してもらったんです。この出会いが私の人生を大きく変えました。
菅野さんは帝人株式会社の人事課長や日本イーライリリー株式会社の取締役を務めていた方。すぐに企画書に目を通してくれて、当時DBMの社長だった舘内篤彦さんを紹介してくれました。ところが「顔がぼけている」という理由で不採用になったんです(笑)。
でも菅野さんがとても良い方で、「それなら僕の給料で個人的に君を雇うからDBMの仕事を手伝ってくれ」と提案してくれたんです。それでDBMの心理アセスメントの解説を作ることになりました。菅野さんは私にとって生涯の恩人です。一生足を向けて寝られません。その後、舘内さんとも親しくさせていただいて亡くなられるまで可愛がっていただきました。

菅野さんとの出会いが、エグゼクティブ・コーチングを始めるきっかけとなりました。菅野さんは、外資系の日本イーライリリー時代にエグゼクティブ・コーチングを受けたことがあったのでノウハウを教えてもらえたんです。当時は外国人のエグゼクティブ・コーチが多かったので、日本語の書籍は出版されていませんでした。それでアメリカの文献を探して読んだり、榎本英剛さんのCTIのコーチングの講座を受講したりして、日本でのエグゼクティブ・コーチングの形を徐々に創り上げていきました。

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1998年、株式会社イー・キュー・ジャパン(以下、EQJ)に入社。EQJでエグゼクティブ・コーチングを売り出すことになり、私は実績もないまま手探りで始めることになりました。恐らく私は日本のエグゼクティブ・コーチとして創成期の一人だと思います。その分、失敗も一番多いかもしれません。

2004年、EQJを定年退職になり独立を考えていたところ、天王寺高校の先輩で、丸紅株式会社の副社長をされた水野勝さんに声をかけていただき、株式会社ベルシステム24の執行役員として総合研究所所長の職に就くことになりました。
当時コンタクトセンターで研究所を持っていたのはベルシステム24くらいだったと思います。「コミュニケーション」の研究を自由にさせてもらえて最高の職場環境でした。
私は当時「口コミマーケティング」の研究を行っていたのですが、あのまま研究を続けていたら、今頃大きなビジネスになっていたと思います。

当初は目標を明確にしないままコーチングをしていたので、結果がでないこともありました。失敗を重ねるなかで、効果がでる人を分析してみると、自分が得意とするのは「自己探索」だと気づいたんです。経営トップが「自己探索」を行うことで「勝つ組織」へと変わることができます。

学習塾の子どものひと言にハッと。それが心理学を学ぶきっかけに

心理学を学ぶきっかけは、学習塾に来ていた少年の言葉です。私の塾には、いわゆる非行少年やその友達も顔を出していました。言葉で伝わらないときには叩くこともありました。でも、ある日非行少年のひとりがこうつぶやいたんです。「叩かれたら子どもの心が傷つくだけやなあ」と。
その言葉にハッとさせられました。私は子どもの心を理解していなかったんです。

そのひと言で心理学を学ぶ決心をしました。母校の京都大学教育学部で教鞭をとられていたユング心理学の権威、河合隼雄教授の授業を聴講するために一年間、当時自宅があった奈良から京都まで始発電車で毎週通って、立ち見で授業に出ていました。1991年頃のことです。生涯受けたなかで最高の講義でしたね。水際立っていました。勉強は面白いのが一番です。それから学部の学生に負けないくらい、心理学を人一倍勉強しました。
EQJ時代には、エール大学のピーター・サロベイ博士など心理学の講義を聞いて回りました。また、国際的な感情心理学会(ISRE)でさまざまな学者の話を聞く機会も増えて、自分自身を研鑽しながら徐々にアカデミックになっていったんです。

メンタルコーチとして参加した冬季五輪で銀と銅のメダルを獲得

2002年12月から2016年6月まで約14年間、日本電産サンキョー スケート部でメンタルコーチを担当しました。
冬季五輪にはメンタルコーチとして3回(ソルトレイクシティ大会、トリノ大会、バンクーバー大会)参加しています。

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メンタルコーチングを始めたのはEQJに在籍していた2002年です。EQJの会長、高山直さんの先輩が三協精機製作所(現、日本電産サンキョー)のスケート部の部長をされていた関係で、スピードスケート日本代表の大菅小百合選手のサポートをしてほしいと依頼されました。2002年のソルトレイクシティ五輪を12位で終えショックを受けていると。それでEQのアセスメントなどを行ったところ、2003年のワールドカップ長野大会の500mで優勝したんです。自信回復が結果につながったのかもしれませんね。

私がスポーツ心理学の手ほどきを受けたのは、「比較文化心理学」や「感情研究」の第一人者で表情解析の研究をしているサンフランシスコ州立大学のデイビッド・マツモト教授です。1999年から毎年のようにサンフランシスコへ飛んで、彼の一週間のワークショップで学びました。
トリノ五輪で日本電産サンキョーのチームが惨敗し、私はコーチングの手法に頭を悩ませていました。その姿を見たデイビッドが心理学者アルバート・バンデューラの「セルフエフィカシー(自己効力感)」の本を手渡してくれたんです。実践に活用できる良い本でした。徹底的に読み込んでメンタルコーチングに活かしました。
その結果、バンクーバー五輪では、日本電産サンキョーの長島圭一郎選手は銀メダル、加藤条治選手は銅メダルを獲得し、メンタルコーチとして貢献することができました。

コーチングを活用して組織開発。「勝つため」に必要なこととは?

ようやく日本でもエグゼクティブ・コーチングの必要性が理解され始めました。「勝つ組織」にするためは、「収益の源は何なのかを考えること」が大切です。そしてビジネスで収益をあげる源は「差別化」しかありません。よその会社と似た商品では単なる価格競争になってしまいます。自分が代理店経営をしていたのでよくわかります。あれは苦しかった。
生き延びるために独自の商品を開発することが大切なんです。

私もコーチ業界で差別化をはかった結果、日本にはまだ少ないエグゼクティブ・コーチとメンタルコーチとしてやっていこうと考えたんです。
他の人がやっていないことをしなければお呼びもかからないし、新鮮でもないわけです。

71歳で大学院修士課程を修了。研究やコーチングは生涯のテーマ

松下さんが執筆・監修された書籍の一部
松下さんが執筆・監修された書籍の一部

70歳を迎える頃、これまでの経験や知識の集大成として研究論文を発表したいと考えました。法政大学大学院政策創造研究科では石山恒貴教授のゼミで学び、2016年3月に修士課程を修了。次の目標は博士課程の修了です。今、アメリカの研究者との共同研究で、「組織の中に存在する"見えないルール"とは何か。それを乗り越えて、女性たちがビジネスの場で活躍できる方法をどのように模索しているのか」をテーマに日米比較を行っています。
この論文はアメリカの心理学会で発表する予定です。

その次は、「スポーツ体験とリーダーシップの関係」をテーマに研究しようと考えています。中学・高校時代のスポーツ体験が、ビジネスでのリーダーシップにどのように役立つのか、それを調査・分析したいんです。
スポーツを経験することは身体やメンタルにとても良い影響があります。ときには理不尽なトレーニングも必要になりますが、それだけでは潰れたり辞めたりする子どもが多いんですよ。それをなんとかしたい。だから、中学や高校のトレーニング方法を変えたいと考えています。将来、多くのリーダーが育つようなトレーニング方法やチーム運営の仕方など仕組みを作って提案したい。そのための研究をしたいんです。

ほかにも研究したいテーマはたくさんあります。
研究やコーチングは生涯のテーマ。「人生の辛酸を舐めたこと」それが私の強みだと思っています。だから私にしかできない研究があるはずです。
今は、女子プロゴルファーや高校球児を中心にメンタルコーチをしていますが、他のスポーツ競技のコーチングもしてみたいですね。
これまでの研究やコーチングを遺言がわりに次世代に残していきたいと考えています。

※松下さんには、コーチングや心理学の観点からさまざまなテーマで「組織開発」について連載でお話しを伺ってまいります。どうぞお楽しみに。

寺本 亜紀

寺本 亜紀

キャリアコンサルタント(国家資格)/2級キャリアコンサルティング技能士(国家資格)
マインドフルネス・カウンセラー
ライフキャリアネット®代表:http://life-career.net/

個人の方や企業の従業員などを対象として「自己効力感を高める」キャリアコンサルティングを行っている。そのほか、キャリアビジョンやマインドフルネス、ハラスメント予防などさまざまなワークショップやセミナーを開催。
大手企業向けの全社員研修用教材(セクハラ・マタハラ・パワハラのハラスメント予防、メンタルヘルスケア、ストレスチェック、新卒採用、ダイバーシティ、CSRなど)の企画・執筆・制作を経て、独立。
10年以上ライター・編集者として、大手出版社や大手教育出版社の特集記事を担当。映像翻訳家(字幕・吹替)、翻訳学校講師としても活動中。

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