「書」で、念(おも)いを伝える日常文化を残したい。 書家・前田鎌利氏

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「書」で、念(おも)いを伝える日常文化を残したい。 書家・前田鎌利氏
2017/10/02 (月) - 08:00
島崎 加奈子

全国15箇所で書道教室を開校し、書家として活躍する前田鎌利(かまり)さん。東京学芸大学を卒業後、通信会社で営業、携帯会社で営業・経営戦略を経て、2014年に独立。会社員時代には孫正義の後継者の育成を受け、退職後にはベストセラーとなるビジネス書の出版もしました。そんな前田さんが“書”の世界に飛び込んだ念(おも)いとは?

この時代に求められる書の仕事

日本人であれば、学校の授業で書道を習ったことがある人がほとんどではないでしょうか。お手本を真似して書いてはうまくいかなくて何度も書き直した経験や、お正月の書初めの宿題も懐かしいものです。

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しかし、最近では筆どころか、スマホやパソコンばかりで文字や手紙を書くことも少なくなりました。本日ご紹介する書家・前田鎌利さんは、文字を書くという行為をこんな風にとらえています。

「文字を書くってとても面倒なこと。面倒なことには大体時間がかかるんですよね。でも手紙を書くということは、自分が今一番伝えたいことは何で、それを誰に伝えたいんだろうと自分と向き合う大切な時間なんです」

前田さんは、“文字を書く=自分と向き合う”という行為自体を、日常文化として現代に戻していきたいと言います。こう考えるようになった背景には、書道を習わせてくれたご両親の想いや、IT業界で活躍する中で出会った人たちとの関わりがありました。

読み書きできない両親の想いを聞いて変わった、書との向き合い方

書道を始めたのは5歳のとき、きっかけはご両親の勧めでした。学校から帰ってきて、ご飯を食べずに22時頃まで書道をし続けることも。当時展覧会に出すと賞をもらうことも多く、前田さんにとって書は自信でした。しかし、小学校6年生のとき、両親からある事実を打ち明けられます。

「僕の両親は大正生まれでした。両親といっても実の両親ではないんです。実の父は僕が1歳、弟が生まれてすぐに他界してしまいました。亡くなった実の父の両親、つまり祖父母にあたる二人が養子として僕たち兄弟を引き取り、育ててくれることになりました。両親(祖父母)とも幼少期は貧しく学校にも通えず、読み書きの出来ない文盲(もんもう)でした。だから僕らにはそんな苦労をさせたくないと書を習わせてくれていたそうです」

お父様は運転免許を取りに行っても、教科書の文字もろくに読めずテストになかなか合格できなかったり、お母様は着物の展示会で販売を手伝っても、伝票が書けずに売上が他人の実績になってしまったりなど、文字が読み書きできないということは生きていく上でとても不利なことでした。

そんなご両親の想いを聞くことにより、前田さんは「書ともっと真摯に向き合いたい」と気持ちが変わったそうです。

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前田さんのご両親。とても仲の良いご夫婦だったという

ご両親を早く楽にさせてあげたいと、学校より書道より“働きたい”という想いが強かったという前田さん。でもご両親は「これからは学が必要、書道も苦労したんだから続けなさい」と、結局大学にまで行かせてくれました。学費のかからない国立大学で、卒業したら書道の先生として地元に戻って就職することを約束し、東京学芸大学の書道科へ進みます。

阪神淡路大震災で痛感した、生命を救えるデバイスの必要性

前田さんが大学4年生だった1995年1月17日、阪神淡路大震災が起きました。前田さんは全国大学書道連盟に所属していましたが、関西方面にいる友人に一切連絡が取れない状況に。当時は固定電話が主流で携帯電話は高くて買えない時代でした。

「友人が生きているのかどうかを知ったのは随分時間が経ってからでした。デバイス(携帯)が普及すれば、もっと助かる命がたくさんあるということを目の当たりにしたんです」

“デバイスで人の命が救える”という今しかできない使命感と、“卒業後は地元に戻って書道の先生になり、親の面倒をみたい”という両親への感謝の気持ちとの葛藤でしたが、前田さんは一度地元に戻って教員採用試験を受けることにしました。

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大学の仲間とみんなで書道に励んでいた時の様子。この仲間との絆が阪神淡路大震災で前田さんにデバイスの必要性を気づかせるものになる

ところが、1年目、2年目と書道教員の空きはなく、試験は不採用。親を楽にさせるために帰ってきたものの、なかなか思うようにいきません。一方、震災で必要性を感じていたデバイスの普及は進んでいませんでした。前田さんは、ご両親を説得し、都心部で通信デバイスに携われる企業に就職することにしました。

一家に一台携帯電話時代、デバイスの普及の次は“つなげる”こと

入社した通信会社では営業の職につきましたが、当時はとても忙しく筆を持つ時間はほとんどありませんでした。しかしその甲斐もあって、3年も過ぎた2000年、日本は一家に一台携帯電話が普及する時代に入ります。

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すると前田さんは、「デバイスを普及させても、電波がつながらなければ意味がない」と、今度は“つなげる”ことを志にしていこうとJ-PHONEに転職。数社あった大手携帯会社の中でも、当時一番繋がらなかったのがJ-PHONEだったそうで、「つながっていないところをつなげていきたい」というのが入社動機でした。

入社して束の間、J-PHONEがすぐにボーダフォンに買収されます。会社の意向でコストカットが多く、通信エリアは広がらないままでした。思い通りにいかない企業の体制に苦戦するものの、震災で感じた“デバイスは人の命をつなぐライフラインだ”という強い念いを胸に、営業から経営戦略に異動を出し、現場の声をトップに伝えるなど、前田さんは「なんとかしなきゃ」と奔走する日々を送っていたそうです。

2010年、ソフトバンクにボーダフォンが買収されると、孫正義社長が電波改善宣言を発表。やっと前田さんのやりたかった、ユーザーを“つなげたい”という想いを会社として進めていくことになったのです。電波をつなげることを目標に、転職してから10年が経過していましたが、震災の経験や営業の仕事を通して見えたユーザーの存在が、前田さんの支えでした。

2度目の震災、「僕は次の世代に何を残せるんだろう?」

そして、2011年3月11日、今でも記憶に新しい、東日本大震災が発生しました。

「震災後は避難所を回っていろんな話を聞きました。その中で『次の世代にバトンを渡していかないといけないんだ』という話をしてもらえたことがあって、そのときに“僕は何を渡せるんだろう?”って自分と向き合うきっかけをもらいました」

これまで自分がやってきた“つなげる”ことを、今やソフトバンクが会社としてやっていくと決めた以上、今度は前田さん自身がやりたいと思っていた、教育や書について何かやりたいと考えるようになったと言います。

当時の前田さんは、孫社長の後継者を育成するソフトバンクアカデミアに所属し、トップの成績を収めていました。それは、「営業現場で聞いたユーザーの声をトップに届けたい」と異動した経営戦略の場で培っていったプレゼンスキルと、書道で身につけた相手の感情を動かすアーティスティックな感性やテクニックの賜物でした。

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着々とソフトバンクの後継者としての道を歩む最中、2013年の9月7日、東京オリンピックの開催が決まるプレゼンを見た前田さんは、翌日退職願を出しました。

「オリンピックが開催される2020年までの7年間でソフトバンクの後継者を目指していく選択肢もあるけれど、僕にしか出来ないことをやりたいなと思ったんです。海外からやってくる人にも、さらに日本の若い人たちにも、日本の文化について素晴らしいなと思ってもらうことをやりたい。それをずっと携わってきたITと絡めてやりたいと思いました」

前田さんの念いや考えを理解してくれた会社とは、もちろん円満にことが進み、2013年の年末をもって退職しました。

人とのつながりを大切にした独立準備

独立までの準備には、仲間内の子供を集めて書道教室を開催してみたりと、色々な人にヒアリングを繰り返し、独自の書道教室立ち上げのために様々なニーズを聞いて回ったそう。

会社も仲違いしたわけではないので、ソフトバンクからも外部講師として社員にプレゼンの研修依頼をもらっていました。当時知り合った方から書道のお仕事をもらうことも。現在ベストセラーになっている本を出版したのも、友人の紹介で出版社の人に研修を見に来てもらったところ、その場で本を出しませんかと提案してもらえたといいます。

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著書「社内プレゼンの資料作成術」はシリーズ累計13万部を超えている

念いを持って働き、念いを持って会社を辞めた前田さんだから、そのあとに続く人間関係を築くことができたのでしょう。しかし、前田さんのようにずっと子供の頃続けてきたことがなくても、みんな必ず自分の好きなことや念いを持っているものはあると話します。

「もしこれから起業しよう、転職しようと思うなら、自分が小学校のときご飯を食べずに打ち込めたことを考えてほしいですね。TVをずっと観ていたならどんな番組だったのか、とか考えてみると必ずあるもの。それを軸に仕事ができたら、好きっていう感覚で仕事ができるはずです」

2014年11月に開業した前田さん。今は全国の書道教室を飛び回る忙しい日々ですが、「仕事をしている感覚ではない」と楽しそうです。

今日からみんな書家になれる、継未教室

一般的に書道教室といえば、先生のお手本を参考にきれいな字が書けるように指導してもらいますが、前田さんの書道教室「継未(つぐみ)」は違います。2時間という授業時間の使い方はその人の自由で何を書いてもOK。「とは言っても、はじめはみんな何を書いていいのかわからないので、お手本を真似して書くんですけどね(笑)」と前田さん。

「大切なことは、自分と向き合う時間をつくること。継未教室に通う方の大半が社会人なのですが、なかなかそういった時間を作るのは難しくなります。はじめのうちは、仕事の嫌なことを思い出すかもしれないけど、ひたすら自分は何を書きたいのかを考えて筆を動かしているうちに“無”になる時が来ます。雑念があるうちは何も考えられないんですよ。それがなくなって、何もない中で自分は何を考えようって、自分に向き合う準備ができるんです」

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また、継未教室の大きな特徴は、展覧会に出展することがない代わりに、ネット上のギャラリーで自分の書いた作品を販売するチャネルを開設していること。ITと書を掛け合わせた、前田さんならではのアイディアで、売れた場合は書いた本人に売上を渡す仕組みです。

今後は日本文化に携わる人がたくさん継未教室に賛同してほしいという前田さん。国内外での教室の展開もどんどん進めていきたいと語ります。世代を超えて、自分と向き合い想いを表現できる人が増えたら、日本も世界も幸せな世の中を築いていけそうですね。オリンピックまであと3年。前田さんの今後がとても楽しみです。

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前田 鎌利(まえだ かまり)さん

1973年福井県出身。5歳に書道を始め、東京学芸大学教育学部書道教員育成過程を卒業。卒業後は独立書家を経て、携帯電話の販売会社へ転職。2014年に独立起業し、書道塾 継未-TUGUMI-を設立。書道塾の経営、作品制作、個展、Work Shop等を通じて日本の伝統文化である「書」を未来を担う子ども達へ、そして世界へ継いで行く事を志として刻み続ける。

島崎加奈子

島崎 加奈子

和文化プロデューサー・フリーライター。着物販売、広告代理店を経て、“きものでかける“という着物のおでかけイベント団体を主宰する傍ら、次の世代に”日本の良いものを伝える営業マン“として、専門学校講師、スタイリスト、和文化と中心としたイベントやメディアの企画・運営に携わる。

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