地方の魅力をファッションでコーディネートする服飾デザイナー
兼行 太一朗
2017/12/25 (月) - 07:00

山口県山口市を拠点にファッションデザイナーとして活躍する片山涼子さん。着物リメークを中心とする、立体感あふれるデザインで幅広い世代の心を掴み、顧客には自治体やイベント主催者なども名を連ねます。今や、地域活性化や観光の「おもてなし」になくてはならない存在となった彼女。夢と地元愛を貫き通したその歩みをたどります。

ファッションの分野で地域活性化の担い手に

守護大名大内氏や幕末から明治時代にかけての史跡が集中する山口市大殿地区。古い町屋が建ち並ぶ同地区の一角に、片山涼子さんは店舗兼作業場「アトリエa.p.r(エー・ピー・アール)」を構えます。

「a.p.r」とは、彼女のブランド名「a piece ryoko katayama」の略。洋服のオーダー製作を中心に手がけ、なかでも着物をリメークした製品が代名詞的な存在です。

「着物が大好きで、最初は着物を着て仕事をしていたんです。もちろん機能的ではなく、どうにか動きやすく着られないものかというのが出発点。また、着物リメークの洋服は、既に世の中に存在していましたが、いかにも婦人服というものばかり。おしゃれに着られる立体的なデザインで、イメージを革新したいという思いがありました」と片山さん。

洋服のオーダーのほかに、舞台衣装やよさこいのチーム衣装などの製作を請け負っていた彼女。着物リメーク製品の評判と相まって、イベント主催者などから、そして山口県や山口市といった地方自治体からの依頼が徐々に増加します。

これまでに、「ねんりんピックおいでませ!山口2015」総合開会式ダンス隊、山口市観光アンバサダー、山口維新キャラバン隊、SL「やまぐち号」SLアテンダントなど、数々の衣装を手がけ、いまやファッションデザイナーとして、山口県における地域活性化事業において欠かせない存在となっています。

物心つく頃には針と糸を手に。母に倣った幼少期

片山さんが裁縫を始めたきっかけは、彼女の服を手づくりしてくれていた母・明美さんの存在でした。気がつけば、自分自身も幼いながら針と糸を手にするようなり、すでに5歳頃には、ぬいぐるみに着させる服を自作していたのだそう。

「母がつくってくれた服はほかに誰ももっていないもので、ときに母親とおそろいの生地であったり、細かなリクエストにも応えてくれたりと、着ていてとにかくとてもうれしくて幸せな気持ちになりました。裁縫技術はほとんど見よう見まね、母親を見て独学で身につけ、9歳くらいには自分の服をつくれるようになっていましたね」と彼女。

その思いは自然と将来へ向けられることとなり、小学5年時の文集には、夢の職業として「ファッションデザイナー」と記します。

高校生時代ともなると、その裁縫の腕前はクラスメートなど周囲には知られるところ。友人からの依頼に応えていたほか、体育祭のダンス衣装をデザインし仕立てたり、自身のバンド活動の衣装を製作したりと、人のために仕立てる喜びを知るようになっていました。

夢への近道は地元山口に存在。憧れの教授に師事

2003(平成15)年、片山さんは山口県立大学生活科学部環境デザイン学科(現国際文化学部)へと進学します。あえて地元大学への進学を選んだのは、服飾文化についての研究で知られる水谷由美子教授の存在でした。

地域文化とファッションとのつながりについて研究を深め、その一環として商店街を舞台にファッションショーを繰り広げるなど、地方都市におけるその試みは斬新といえるものばかり。水谷氏の企画はローカルニュースなどでもたびたび取り上げられ、片山さんの目を輝かせました。

「高校卒業後には大都市へ、という選択肢はまったく頭にありませんでした。家族とともに山口に居たいという思いもありましたが、何よりも水谷先生のもとで学びたいというのが大前提。入試当時、面接試験の担当者が水谷先生だったときには運命を感じました」

地元にこそ師事すべき人が存在する――。熱い夢を描きつつも、ファッションデザイナーとして立身するための具体的なスキルアップを冷静に描いていたからこそ、片山さんは水谷教授という人に目がとまり、成し得た選択であったといえます。

1、2年次は建築、インテリア、グラフィックなど、一般教養も含めてあらゆるデザインを学んだ彼女。そのなかで、洋服づくりの基礎について、水谷氏による授業もあり、片山さんは「わたしの技術を見てほしい」「洋服づくりができます」と言葉に発せずとも、必死にオーラを発していたそう。

「わたしが洋服をつくっているという情報はご存知だったはずで、ほかの学生とは違った目で見てくれていたと感じています。そして、3年になり、厳しいことで有名だった水谷ゼミの門を迷うことなくたたきました」

現在の礎を築いた3つのポジションでの活動

憧れの水谷ゼミでの彼女の研究活動も本格化。折しも、水谷氏のもとで晩餐会用ドレス研究開発プロジェクトが発足し、学生チーフとして任命されます。水谷氏と親交のあった安倍昭恵首相夫人が協力することとなり、「山口らしさ」をテーマに企画・開発されたドレスは、2006(平成18)年、実際に宮中晩餐会において夫人が着用することとなりました。

同年11月には「第21回国民文化祭・やまぐち2006」が開催。ここでも水谷氏監修により研究の一環として、オープニングセレモニー、長門市での市民参加歌舞伎「長門鯨回向外伝」などの衣装製作を担当。

「耳にしていたとおり、大学ではファッションに関するいろんなことを学びました。晩餐会ドレスや国民文化祭など、大きなプロジェクトが立て続けにあったというのもありましたが、終わった際の達成感は尋常ではありませんでした」と片山さん。

また、水谷ゼミには大学外に「有限会社ナルナセバ」という企業形態のサテライト研究室があり、衣装の受託生産など、収支が発生するような、大学組織内では困難な実践が行われています。主に大学院生が所属するのが慣例ですが、すでに裁縫の技術を身につけていた彼女は、当時の代表を務めていた先輩の誘いを受けて、ナルナセバでの事業にも加わります。

さらにもう一つのポジションとして、多忙な研究活動の一方で、コンテストへの出品など、個人での創作活動にも力を注ぎます。2005(平成17)年、デニム作品をテーマとする「第6回ジャパン・ファッションデザインコンテストin山口」に応募し、見事に大賞を受賞。デザイナーとしての「日本一」という勲章は彼女の大きな自信にも繋がりました。

大学の研究、ナルナセバでの実践への参加、さらに個人での創作という3つのポジションでの活動が、ファッションデザイナーとしての実力をさらに高めるとともに、地元山口において彼女の存在を大きく知らしめ、将来への大きな後押しとなりました。

ファッションで山口を発信したい!地元への思いを再認識

2007(平成19)年、片山さんは山口県立大学大学院へと進学し、引き続き水谷氏の指導を仰ぎながら、上記ナルナセバでの実践を重ねていきます。翌2008(平成20)年には代表に就任。オーダーメード洋服の受注生産やチーム衣装製作といった、ファッションデザイン事務所さながらの仕事を請け負いました。

「ファッションショーの企画・運営、ダンス教室の発表公演の衣装製作など、ファッションを通じてたくさんの地域の方々と接することができました。地元を愛する気持ちはさらに大きくなり、ファッションという分野から山口の地域活性化のお手伝いをしたいと強く思うようになりました」

前述のとおり、地域文化とファッションのつながりというのは水谷研究室の主題の一つ。水谷氏に師事し、「ファッションで山口を発信する」研究やプロジェクトに数多く携わったことで、「やはりこの地で歩んでいきたい」と考えたそう。

大学院の課程を2009(平成21)年に修了後、片山さんはナルナセバにも籍を置く形で起業。「自身が生み出したひとかけらの作品が、身につけてくれる人の体の一部のような存在になってほしい」という彼女の思いが詰まった「アトリエ a.p.r」がここに誕生します。

また、起業直後には第63回山口県美術展覧会において初出展ながら優秀賞を受賞します。

「アトリエを立ち上げたら、ビジネスとしての衣装製作が大半を占めることになるはず。『売る』ものばかりではなく、ときには『アート』での創作に徹することで、自身のデザイナーとしての感覚を磨きたいと考えています。そのような意味でこの受賞は涙が出るほどうれしかったです」と彼女。

「山口らしさ」の表現、そして着物リメークで見出したプロとしての飛躍

学生時代の実績もあり、順調に仕事の依頼を増やしていた片山さん。製作物が人の目に触れることによって、次の仕事に繋がっていくという好循環を生み出していきます。

長年の研究やプロジェクト参画によって培った、ファッションでの「山口らしさ」の表現は、夏みかんなどに代表される自然のものであったり、明治維新の志士たちの志など歴史・文化の内面的なものであったりと多彩。県や市といった自治体のほかに、観光関連業界、さらにはご当地アイドルなど、アトリエa.p.r製作の衣装は、山口県内の様々な場面で目にすることができます。

そして、彼女のファッションデザイナーとしてのオリジナリティーを明確なものとし、さらなる飛躍へと結びつけたのが、冒頭で紹介した着物リメーク製品です。伝統的なジャポニズムがデザインに見え隠れしているというのは、片山さんが憧れるファッションの世界観でもありました。

かくして、ジャポニズムに「立体造形的なデザインが好き」という、彼女のエッセンスが加わったそのデザインは、一般含めて幅広い分野で受け入れられることとなります。「思い出の着物を娘のドレスにしたい」「押し入れに眠っている着物を生かしたい」などと、多くの依頼にアトリエの灯りは深夜まで消えることがありません。

「この先こうなりたいと、明確な将来を描いているわけではないですが、一つ一つのチャンスを確実にものにして、今にたどり着くことができたと思っています。決して、現状に満足はしていませんが、依頼をいただいている皆様には、本当に感謝しかありません。これからもさらにチャンスをいただけるように、着る人、そして見る人をときめかせるような服をつくっていきたいです」

2010(平成22)年9月より、同じく山口市内にある山口芸術短期大学にて、非常勤講師として教壇にも立つ彼女。「服づくりの基礎を身につけてもらい、ファッションショーも企画できれば最高」と、真っ直ぐにファッションを志しているような学生との出会いを心待ちにしているのだとか。

地方で抱いた夢を、地方で叶える――。彼女の成功は、地方においても、十分にクリエイティブな才能を磨き、将来にわたって生かせる環境があるということの証明であり、もう一つ強調すべきは、歩む道を念頭に置き、数ある選択肢のなかから最も相応しい“扉”の存在を冷静に見つけ出したということではないでしょうか。

夢を地元山口で実現した彼女のストーリーに「苦労」はあっても「挫折」が聞かれなかったのは、ファッションデザイナーへの思いを貫き通す意志の強さゆえかも。

取材の終わり、雑談まじりに「いつかNHK紅白歌合戦の衣装をつくってみたい、山口県出身のアーティストだったら最高ですね」と本心とも、冗談とも。チャンスを掴み続けてきた彼女であれば、きっと成し遂げるに違いありません。

アトリエa.p.r代表

山口芸術短期大学非常勤講師

片山涼子(かたやまりょうこ)さん

1984年、山口県徳山市(現周南市)生まれ。2003年、山口県立大学生活科学部環境デザイン学科(現国際文化学部)入学。水谷由美子教授に師事しファッションデザインの創作研究に打ち込む。在学中の2005年に第6回ジャパン・ファッションデザインコンテストin山口で大賞受賞。同年から2006年にかけて、安倍昭恵首相夫人の宮中晩餐会衣装の企画・製作に学生リーダーとして携わる。2007年、同大学大学院へ進学。2008年、同大学ベンチャー企業・有限会社ナルナセバ代表取締役に就任(卒業まで)。2009年、同大学院を修了し、「アトリエa.p.r」を設立し起業。さらに第63回山口県美術展覧会にて優秀賞受賞した。2010年9月より山口芸術短期大学非常勤講師。2014年、将来的な地域文化の創造に期待される人物として山口メセナ倶楽部より「20周年記念メセナ賞」が贈られた。

手がけた衣装(抜粋):
「ねんりんピックおいでませ!山口2015」総合開会式ダンス隊、山口維新キャラバン隊、山口市観光アンバサダー、湯田温泉観光回遊拠点施設「狐の足あと」足湯用衣装、SLやまぐち号SLアテンダント、やまぐち奇兵隊、やまぐち維新さんぽ「維新deコスプレ」、アイドルユニット「オレンジ☆みるふぃ~ゆ」

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