過疎地域の未来をも切り拓いた「島のジャム屋」繁盛記
兼行 太一朗
2017/05/20 (土) - 08:00

全国にもファンを増やし続けている、山口県の手作りジャム専門店「瀬戸内ジャムズガーデン」。創業者の松嶋匡史さんは自身の成功とともに、店が立地する周防大島町の地方創生も成し遂げようとしています。過疎化に悩んだ島は今や活気みなぎる起業の島へ。移住者の松嶋氏がどのように事業を育み地方と歩んだのか、その道のりを辿ります。

遠くても足を運びたい店「瀬戸内ジャムズガーデン」

山口県の東南の端に位置し、淡路島、小豆島に次ぐ瀬戸内海第3位の面積を有する、周防大島。かつて高齢化率日本一ともいわれるほど深刻な過疎化に直面していたその島は、現在も高齢化率は約50%と全国平均を大きく上回る状況が続いていますが、若い移住者による起業が相次ぎ、「起業の島」として全国から注目を集めるようになりました。

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夏季を中心に特定のシーズンに限られていた観光客が通年化するなど、島の将来に幾重にも射し込み始めた光明―。その起点の一つとなったのが、松嶋匡史さんが創業した「瀬戸内ジャムズガーデン」です。

店までのアクセスは、最寄りの山陽自動車道・玖珂I.C.から島の入口・大島大橋まで約40分、そこからさらに約20分を要します。決して交通の便が良いとはいえない立地でありながら、休日を中心に多くの人が押し寄せる様子から、同店の人気と生産されるジャムの品質の高さをうかがい知ることができます。

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それにしても松嶋さんは都会のような人口密集地ではなく、なぜあえて過疎の島を出店場所として選んだのでしょうか?さっそく、氏が描いていた出店計画、事業モデルを紐解いてみることにしましょう。

田舎でこその最先端、“島のジャム屋”の誕生

松嶋さんが手作りジャム工房の開業を志すきっかけは、2001年、新婚旅行で訪れたフランスにありました。パリで入店したジャム(現地ではコンフィチュール)専門店で目の当たりにしたのは、日本で接してきたものとは全く異なるデザートとしての扱いの多様さ。その奥深さに圧倒され、「こんな食文化が日本にあれば良いのに」という思いが芽生えます。

当時は電力会社に勤務し、新規事業に携わる部署に在籍。2年間ほどベンチャー企業へ派遣された期間があり、起業の大変さを理解しつつ、何よりもその大きなやりがいに魅力を感じたことも後押しになったそうです。

「ジャムは日本においては未開の部分が多いのでは?と、広大なフロンティアを感じました」と松嶋さん。その後は、名古屋市で会社勤めを続けながらジャム造りに没頭し、休日には各地のジャム製造者のもとに通い研鑽を重ねるという日々が続きます。

「ジャム造りにこだわればこだわるほど、『ジャムさえ造れば良い』では済まないことが見え始めました。果実として味わう旬とジャムに加工すべき旬は異なります。さらに、同じ果物でも栽培地点の違いや毎年の作柄によって味の差異が生じます。果実生産地の真っ只中に出店し、農家のみなさんとコミュニケーションをとりながら、一つ一つの果実と向き合ってジャムを造らなければと考えるようになりました」

そうしてジャム造りの拠点に選んだのが、妻・智明さんの故郷でもある周防大島だったのです。周防大島は「みかんの島」ともいわれ、柑橘類を中心とする果物の一大産地。松嶋さんにとっては願ってもない場所でした。

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2003年11月に、妻・智明さんが中心になり晴れて「瀬戸内ジャムズガーデン」を創業。新築した店舗兼工房で翌2004年7月から夏季限定で店を開き、そして2007年6月に勤務先を退職し完全移住、通年営業へと移行し本格的に事業をスタートさせました。

「流通網が発達しインターネットがある現在であれば、均一品の大量生産では実現できない多様性のある『こだわり』は田舎でこそ発揮でき、一つの事業として最先端と成り得ると考えました」と松嶋さんは振り返ります。

「店の将来=島の将来」、地域と歩む店づくり

周防大島では、山口県内における温州みかんの約8割が生産されており、これこそが「みかんの島」たる所以。温暖な気候から多彩な柑橘類やイチジクなども栽培されています。

しかしながら、松嶋さんは島の現状に直面します。前記のとおり島内の高齢化は深刻で、島を支える農業従事者はそのほとんどが60歳以上という有様。将来を悲観し、子どもに農業を継がせず島外で就職させるというのが通例となってしまっていたのです。

そして、ジュースなど加工用の果物は1キロ10円にも満たない価格で取り引きされており、農家の人が「ジャム用に」と、食べ頃を過ぎたものや形の良くないB級品を店に無料で置いていくケースも珍しくはありませんでした。

「島の農業がこのまま先細るのみでは、店の将来もありません。生産物にもっと価値を持たせ、農業でも収益が上がるシステムを構築し、島の生産現場をも巻き込んだ長期的な店づくりをしなければならないと強く考えるようになりました。中山間地域、島諸地域では、農業の効率化だけを考えていてはとても大規模生産地には勝てません。農業単価は下降を続け、生産者はただ疲弊していくのみです」

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地域資源を活用し、その資源や副産物が適正に評価される仕組みを築いて流通経路を拓けば島の経済は回復するはず―。雇用創出にもつながり、地元で働きたいという若者も増えるのではと、松嶋さんは島の再生を念頭に置き事業に取り組み始めます。

「農家と直接契約を結び、これまでの10倍、市場価格を超える1キロ100円以上での仕入れを開始しました」

農家にとっては収益が確保されるだけでなく、生産を続けるモチベーションにもつながり、島での農業への取り組み方が見直されるきっかけになりました。現在、契約農家は50軒以上。40種以上にもおよぶ多彩な果実や野菜の安定供給にも結びついており、同店のジャム造りを支えています。

地域再生を描く事業モデルが島とともにクローズアップ

地域の再生、地産地消に主眼を置いた松嶋さんの事業モデルは、経済産業省中国経済産業局「地域ビジネスリーダー50人」選出(2009年)、経済産業省「がんばる中小企業300社」選出(2013年)、農林水産省「6次産業化優良事例農林水産大臣賞」受賞(2015年)など、大きな注目を集めることとなりました。

「瀬戸内ジャムズガーデン」は次々にメディアに取り上げられ、事業の舞台である周防大島も同時にクローズアップ。その結果、カフェ、レストラン、養蜂といった起業が相次ぎ、その背中を追って移住を志す人は今なお後を絶ちません。起業によって雇用も創出され、松嶋さんも事業拡大を成し遂げる中で30人も雇い入れています。さらに、島での農業に将来性を感じ就農を希望する若者も現れました。

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地域全体を巻き込むチャレンジが次々に誕生

島の中でも変化が現れます。農業や観光業とともに島を支えてきた漁業においても、松嶋さんの取り組みに倣い、若手漁業者自らが近海で水揚げされる魚介を使って新たな商品を開発。6次産業化に乗り出すといった今までにない挑戦が生まれたのです。

島を盛り上げようとする機運はやがて地域の志を結びつけます。官・民だけでなく、事業者がそれぞれの業界の垣根をこえ、地域全体を巻き込んだ「総合プロデュース」的な試みが島で次々に生まれ、今ではそれが当たり前のプロセスになっているといいます。

「『ジャム』の語源には混ぜるという意味があるそうです。これから先も島内で様々な分野の事業が結びついて補い合い、島独自の新たな価値や魅力が育まれ続ければいいなと考えています。移住した2007年当時と比べ、島には活気がみなぎり地域全体がはるかに明るくなりました」

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松嶋さん自身も「瀬戸内ジャムズガーデン」のさらなる進化に向けて余念がありません。約65アールほどの耕作放棄地を借り受け、自らも、サツマイモ、イチジク、イチゴ、ブラッドオレンジ、ライムなどの栽培を手がけています。また、その果樹園に遊歩道や海を見渡す展望所の整備を予定しているそう。

「1、2年後を目途に、農園型テーマパークとして楽しんでもらえるような果樹園にしたいと考えています。ゆくゆくは収穫体験も可能にしたいです」

周防大島観光協会副会長やキャリア教育推進会議の委員を務めるなど、松嶋さんはすっかり島のキーパーソン。その活動は島の次世代育成、観光産業の魅力アップ、地域内の経済循環づくりなど多岐にわたります。

多方面で起業家教育にも請われ、折しも2017年3月には内閣府地方創生推進事務局により「地域活性化伝道師」にも任命。となれば近い将来、地域資源・地域・起業者によるさまざまな“ジャム”が全国各地で生まれるはず。

果たして各地でどのような地方創生が取り組まれるのか、これからの「瀬戸内ジャムズガーデン」、そして周防大島の発展とともに興味は尽きません。

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株式会社瀬戸内ジャムズガーデン 代表取締役

松嶋 匡史(まつしま ただし)さん

1972年、京都府生まれ。山口県周防大島町で手作りジャム・マーマレード専門店「瀬戸内ジャムズガーデン&ファーム」を経営。2003年に個人事業として創業し2011年に株式会社化。カフェや果樹栽培も手がけ、主催する「春のジャム屋まつり」は島を代表する名物イベントの一つとして年々規模が拡大中。過疎の島に大きな変革をもたらした事業モデルは、日本全国はおろか海外からも視察が訪れるほどで、起業、地方創生における講師としても活躍中。

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