日本の伝統産業に光をあてる。「職人醤油」、高橋万太郎氏
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2017/07/28 (金) - 08:00

日本全国の80銘柄以上の醤油を紹介し、それを100mlという共通サイズで展開する「職人醤油」。オンラインショップから始まり、2010年に群馬県前橋市に直営店を、2016年には松屋銀座店をオープンさせました。代表の高橋万太郎さんは、精密機器の営業を経て、2008年に起業。なぜ醤油という商材を選んだのでしょうか?「職人醤油」を始めるに至った背景や今後について聞きました。

営業の基礎を学んだ、会社員時代

群馬県前橋市出身の高橋さんは、立命館大学を卒業後、2003年に株式会社キーエンスに入社しました。会社選びのポイントは、大学時代に尊敬していた先輩が入社していたから。人を軸に会社を決めた高橋さんでしたが、入社後も人に恵まれたと振り返ります。

「たまたま配属されたのがTOP営業の下で。お客様と接する際には、3つの視点(自分の視点、相手の視点、天井から見ているであろう第3者の視点)でモノゴトを見ることを学びました。どのようなコミュニケーションを取れば、相手が気持ちよいかを常に考えるという営業のスタンスを身につけられたと思っています」

「デジタルマイクロスコープ」という顕微鏡の営業担当だった高橋さん。研究開発の現場に足を運ぶ刺激的な毎日でしたが、高橋さんが入社した当時、世間はベンチャーブーム。高橋さんも将来的には独立したいと入社時から考えていたそうです。

「学生時代に他校と合同で大きな学園祭を主催しました。その時に勉強のできる人、芸術肌の人など、様々なタイプの人の間に立って調整するのが自分は得意だということがわかって。みんなで同じ目標に向かって歩んでいく楽しさを知りました」

また、起業を選んだ理由に父親が自営業だったというのも関係している、と自身を分析します。

日本縦断のマーケティングの旅へ

“石の上にも3年”という言葉の通り、高橋さんは3年間営業の道を歩みました。どこかで「3年経てばやりたいことも見えてくるだろう…」そんな風に気軽に考えていたといいます。しかし、一向に“何”で起業するかの糸口が見えてきませんでした。

「そんなモヤモヤしていた時に、スティーブ・ジョブズの卒業祝賀スピーチに出会ったんです」

『自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。』

「そうだ、やることを探せばいい。そう思って自分が営業力を生かせる分野をリストアップしてみました。そこで目に止まったのが『伝統産業』でした。また同時期にたまたま聞いていたラジオの話にピンと来たんです。子どもにどんな絵本を読ませたらいいかという話題で、その答えが“長い間読み続けられている本”でした」

高橋さんの中に浮上した、「伝統産業」というキーワード。高橋さんは2006年に3年間勤めたキーエンスを退職し、「伝統産業」の現場を見にいくことにしました。実は退職と同時に結婚した高橋さんは、新婚旅行を兼ねて、日本縦断のマーケティングの旅に出ることにしたのです。

「奥さんは仕事を辞めることに反対はしませんでした。2年間は仕事がなくても最低限生きていけるお金を貯めていたので、ダメならサラリーマンに戻る覚悟でしたね」

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3ヶ月をかけて、奥さんの実家のある山口県から北上して北海道まで旅をしたという高橋さん。旅から戻ると旅路で出会った「伝統産業」のアイテムを振り返ります。

「陶器や漆器、たわしから仏壇に至るまで300ほどありましたが、より日常に近いもので絞っていくと食品が残りました。醤油、味噌、日本酒にお茶など…。そして、出会った人たちは口を揃えて『いいものを作っている自信はあるけど、売れない』と言っていたのが印象に残っていました」

旅を通してなんとなく方向性が見えてきたところで、最後は母親の行動が背中を押したといいます。

「教育熱心で自分のために滅多にお金を使わない母だったのですが、そんな母が初めてインターネットで買い物をしたのが醤油だったんです。『もらった醤油がおいしくて買いたいのだけど、インターネットにクレジットカードの番号を入力しても大丈夫?』と聞かれたことがありました(笑)」

醤油についてゼロから学ぶ

「醤油」という商材が決まったら次は勉強です。高橋さんはすぐに近くの醤油メーカーにアポイントを取り、訪問して醤油について学び始めました。自分で30軒の蔵元を巡ると決め、ひたすら回ったそうです。最初は電話でアポイントを取ろうと試みたのですが、なかなかつながらず、突撃訪問が多かったとか。

「蔵に人が訪ねてくることが少ないなか、特に若いのがいくと珍しがってもらいました。 『おぉ、若いのに珍しいな。だけど、醤油は儲からないから、せめて味噌にした方がいいよ』などと言われて(笑)」

原料について、製造方法について、設備についてなど、徐々に醤油に関する知識を深めていった高橋さん。だいぶ詳しくなったはずだと、いざ百貨店の醤油売り場へ向かったそう。しかし、そこでショックを受けたのだといいます。

「自分では醤油についてわかってきたつもりだったのですが、壁一面に並ぶ醤油からどれを選んだらいいか、さっぱり検討がつかなかったんです。僕がこうなら他の人も選べるはずがないと思って。じゃあどうしたらいいか?自分だったら少量ずつ使ってみたいなと思いました」

そこで一度訪問した30軒の蔵元のなかで魅力を感じた8つの蔵に再度訪問し、100mlサイズの瓶で醤油を詰めてもらえるようお願いをすることに。最小ロットは140本、計1,120本のミニ醤油が手元に揃いました。「職人醤油」のはじまりです。

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やりながら考えるのが高橋流

さて、商品は出来上がったものの、売り方がまだ決まっていませんでした。

「自前でホームページは作ってみたものの、8アイテムしかないサイトで売れるはずありませんよね…(笑)。しょぼいサイトでもアイテム数が増えれば売れるようになるに違いない!そう仮説を立てて、まずは数を増やすことに注力しました」

最初はインターネットで検索して訪問先を決めていたそうですが、やっていくうちにやり方も変わっていきます。訪問先の人に聞いて、地元の別の醤油蔵を紹介してもらうように。

「ものづくりをしている人と話すのが何より楽しかったですね。最初職人さんは『俺たちは職人であって商人じゃねぇ』って言っていても、仲良くなると『どうやったら売れるかね?』と相談してくれるようになって」

高橋さんは自身の立場を「コンサルではなく、お醤油を買っているお客様と同じ」と理解し、だからこそ職人さんも話を聞いてくれるんだと話します。そして、醤油蔵を数多く巡っていくうちに、自分自身の判断軸のようなものも見えてきたそう。

「いい原料を使っていたり、昔ながらのものづくりをしている蔵が必ずしもいいとも限りません。どんな人がどんな想いで造っているのか、突っ込んだ質問にも答えられるかなど、造り手が信頼できるかどうかが僕にとって重要なポイントです」

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群馬にUターンして、店舗販売も開始

高橋さんの目論見通り、商品が増えてくると、メディアからの取材依頼や扱いたいという小売店などからも少しずつ問い合わせがくるようになりました。この頃は、「東京周辺でチャレンジしたい」と川崎に事務所を構えていたそうですが、子どもができ、子育て環境を考えて、高橋さんの地元の前橋にUターン。2009年のことでした。

「前橋で事務所を借りてオンラインショップの運営をしていたんですが、ビルを建て直すことになって、次に見つかった物件がたまたま店舗物件だったんです。それで細々と店舗販売もスタートすることになって」

店舗販売を開始してみると、予想外に売れることが見えたそう。

「最初は家賃分くらいが賄えればいいかなくらいに思っていました。100mlの醤油はスーパーの1リットルの醤油と比べると割高です。地方では売れないと思っていたけど、受け入れられることがわかりました。2人暮らしの近所のおばあちゃんは、『おいしい醤油は食事全体がおいしくなる。このくらいの贅沢いいでしょ』と言って買ってくれます」

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また、来店客の9割が店内にずらりと並ぶ醤油を目にして同じ質問をするといいます。 「刺身にあう醤油はどれですか?」と。

高橋さんは単に醤油を売るのではなく、醤油を楽しめるシーンを含めての提案をする必要性を実感したといいます。そして前橋のお店が軌道に乗ってきたところで、東京進出を考えていた時、タイミングよく松屋銀座から声がかかり、2016年に出店を果たしたのです。

現在は売上のおよそ5割が卸し、残りが直営店とオンラインショップによるものだそう。ちなみに前橋店と松屋銀座店の顧客層などの違いを聞いてみると、
「東京に出店してみて面白いことがわかりました。実は客単価が前橋の方が東京の約3倍なんですね。100mlとはいえ醤油は複数買うと重さがあるので、車社会の前橋の方が一度に買って頂けるということが分かったんです」との答えが。

また、前橋で事業を行うことのメリットを次のように語ってくれました。
「首都圏に比べてまず家賃が安いのがいいですね。弊社は在庫を抱えるためスペースも必要なので。それから打ち合わせが必要な場合、東京などからわざわざ足を運んでくれるので、1回の打ち合わせの密度が濃くて仲良くなります」

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自分がやるべきものは周りが作ってくれる

日本には現在約1300の醤油メーカーがあるといい、高橋さんはこれまでに400以上の蔵元を訪ねたといいます。そんな彼にとって醤油の魅力とは何なのでしょうか?

「日本に育った人で醤油のことを嫌いな人ってまずいないと思うんです。海外から帰ってきてこれ食べたいなぁ?と思い浮かべるメニューにだいたい醤油が使われています。つまり、醤油は日本人のDNAに刻まれているものだと言っても過言ではありません。それなのに、醤油について知っている人はほとんどいないんですね。僕は醤油業界をどうにかしようとは思っていない。造り手がどんな想いでものづくりをしているか、使い手がどのような感想を持って使っているかを互いが知っている状況を作るのが理想です」

高橋さんの会社名は「伝統デザイン工房」。社名が表すように、必ずしも醤油という商材にこだわっている訳ではありません。最近は醤油に加え、味醂についても扱うようになったそう。また、将来的に“伝統産業”という分野で活動の幅は広がっていく予定だとか。

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2007年に法人登記してから、2017年で10年。これから地元に戻ってチャレンジしたいと思っている人や、経営者になりたい人などにメッセージをもらいました。

「正直今でもお金のことだったり、人のことだったり苦労はあります。それでも何事も『プラス×マイナス=ゼロ』だと思っています。周りから見て成功しているなと思っている人でもどこかで大変な思いはしているはずですから。やらなきゃ何も変わらない。考えて分かるものでもないし、やり始めたら見えてくるはず。自分がやるべきものは周りが作ってくれると思います」

一つひとつの行動の積み重ねが、まさに今のビジネスを作っている高橋さん。そんな彼の言葉にはとても重みがあります。

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高橋 万太郎

1980年群馬県前橋市出身。立命館大学卒業後、(株)キーエンス入社。精密光学機器の営業に従事。2007年に退職、(株)伝統デザイン工房を設立し、これまでとは180度転換した伝統産業や地域産業に身を投じる。全国各地の醤油蔵を400以上訪問し、時に「醤油ソムリエ」、時に「醤油プロデューサー」、そして「醤油の営業マン」として日々奔走している。

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